2018.12.31
 
今年もお世話になりました。

今年は父のなくなった年齢に私がなった年です。
ここをなんとか切り抜ければ、しばらくは永らえることができる。
そう思っていました。なんとかなりそうです。
 
 以下はhttp://blog.pahko.jp/ 2018抜粋です。


1月 大雪
4年ぶりの大雪。冬に移動性の低気圧が日本海沿岸を通る。この低気圧は980ヘクトパスカル、風速30mといった台風級のやつである。こんなことは昭和の冬にはなかった。夏は7月から猛暑日が続き8月も暑いままだった。秋が長く12月になっても寒くならなかった。と思ったら年末急に冷え込んできた。異常が状態と化したので気温が10度くらい乱高下しても驚くことはない。服をしまう時期がどんどんずれ込むだけである。
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1月23日


2月 シナリオ教室講義室
シナリオ教室の学校は渋谷の青山学院大学の前の道を横断して、その路地を少し入ったところにある。業界の人の話を聞けるということで参加した。くわしくは下のリンク先をご覧ください。簿記3級に一応合格したので、次はシナリオだと思って、6ヶ月の通信教育に申し込んだが、6ヶ月で終わらなかった。また2万円払い込んで6ヶ月延期したが、それでも終わらなかった。これはシナリオの書き方を学ぶコースで、初めは形式だけ合っていればいいんだから、なんでもいいから書いて課題を済ませてしまえばいい、と考えていた。結局自分が満足いく中身がかけなくて3ヶ月ほどさらに延期した。受講料は月4000円となった。それでも終わらなかった。通信添削Z会を未提出だったことは1度もない。課題は必ず出すことが私の人生だった。今回、初めてそれを自分から破って、課題未提出のまま退会した。再入学はできるようだが、今はその気がない。これは大きな転換点のように思える。
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2月24日


3月 砧公園 
たまの休みに歩いて世田谷区の砧公園に行った。緩い丘を越えて雑木林を抜けると桜が満開だった。芝生の丘に桜が群生していてこんなところがあるとは思わなかった。人も少ない。上野や目黒川や飛鳥山など名所とはえらい違いだ。そういえば旅行などほとんど行っていない。旅費の工面がつかないわけではない。金の使い道に旅行がはいっていない。使っていいのはパソコン関係で、そのほかのことは自分とは無関係だと思っている。大変狭い世界で生きていることになる。金をかけずに行き当たりばったりの散歩をしているとこういうところにぶち当たるのが東京の魅力である。
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3月29日


4月 義母の葬式
結局妻の母は100歳で亡くなった。極楽往生と言いたいところだが、晩年はもう少し楽に暮らせたのではないだろうか。あと2ヶ月ほど待てば、島の特養に入れたかもしれないのである。まあしかし済んだことだ。この義母の死をはじめとして今年は身近な人が次々亡くなった。それで私も考えを変えた。終活などとたわけたことを新聞TVでほざいているが、私はそれに与しない。生きているときは精一杯生きればいいのだ。生きているうちに死の準備をするなんてとんでもない。いずれそのときはやってくる。そうしたら、一生懸命死ねばいいのだ。無用な延命など、もってのほかである。勤務先の幼稚園児は「大人になったら立派なゾンビになります!」と宣言している。それでいいのだ。
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4月18日 4月15日


5月 世代交代
作業用パソコンとしてmac miniという小さな弁当箱のようなパソコンをずっと使ってきた。これは4代目である。ところがこのバージョンアップがなかなか実現しない。それで痺れを切らしてiMacを購入。現状可能な限りハイスペックを追求した。これで死ぬまで使うつもりだ。ところがこの後すぐにmac miniの新型が発売された。相変わらずうまくいかないものである。
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5月9日


6月 G3会伊東例会
もう10年ほどになるG3会。偶数月の第一木曜日に集まれるものだけが集まってする飲み会、というのがこの同窓会の決まりだった。卒業時のクラスが3年G組だったので、それをもじって「じいさんかい」。私がこのような会に参加するとはまったく思っていなかった。それが幹事として宿泊の企画まで立ててしまった。まだまだ続くかと思っていたが、この秋にこの写真のうち2名が亡くなった。
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6月11日


7月 熱海例会
そして翌月は中学校の同窓会である。クラブ活動の顧問の先生所有の別荘に部活仲間が集まる。この会は年に3回程度。忘年会と新年会(といっても2月)そして夏の熱海例会である。体調不良で参加者は年々減っている。今年参加したメンバーのうち2名がこのひと月ほど後に亡くなった。いずれもガンだった。
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7月15日


8月 妻帰省
妻が帰省するのは小笠原にまだ母がいた頃、母の様子を見るためであった。母はこの4月に亡くなっているから、帰る理由も泊まる家もない。ところがこの8月に妻のすぐ上の四男が現場作業中に亡くなった。事故死である。長兄は体調不良であるから、結局は末っ子でまだ元気な妻が葬式、遺品の整理、など残務処理をするために帰省することになった。お母さんが四男を呼んだのよ、お盆だし。と妻は言った。
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8月25日


9月 巡業公演(六本木高校)
今年はこの巡業公演と称する定時制高校のエンカウンターグループを16回やった。私のメインの仕事、学童保育に継ぐ業務である。学童保育が来年定年になると思い込んでいて、就活をあれこれやった。その結果シルバー人材センターの紹介で市報配達、コミセンの体育館指導員などが見つかった。そのほかに通信制高校の講師が月に2、3度くる。登録だけしているのは、ネットの家庭教師、LINEの家庭教師、など教育関係だが、これは登録だけで実際に教えるところまで行っていない。そうしたら、学童保育は70過ぎてもお願いしたいといわれ、仕事が多過ぎた。コミセンの仕事を半分にして調整中である。
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9月14日


10月 台風一過
台風24号は夜中に東京地方に影響を与えて太平洋上に去った。別邸のベランダが落ち、隣家の屋根と物置に被害を与えた。これは弁償すればすんだが、屋根の瓦が飛ぶのではないか、雨戸の戸袋が落ちるのではないか、と不安要素が明らかになった。壊して小さな小屋をたてるか、今の別邸の屋根・壁を直すか、あれこれ調べて見積もりも取った。結局屋根壁の修理と室内のリフォームをすることになった。
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10月1日


11月 新宿山吹会
メディアでは何かと「平成最後の」という接頭語がついた1年だった。昭和とか平成とか、あまり関係ないと思っている。とはいえまあ付き合って私の平成を振り返って見ると、前半新宿山吹高校、後半東星学園と勤め先が変わった。公立の単位制高校から私立の共学カトリックミッション校で同じ教育関連とはいえ指導理念はまったく反対のものが多かった。新宿山吹高校というのは1991年開校で開校当時の教職員の同窓会がこの新宿山吹会である。私はこの会の筆頭副会長を務めている。写真では元気な人だけが写っているが、初期の幹事のS先生は連絡がつかず会には出てこない。そんな方が何人かいる。2020年に散会が決まった。
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11月10日


12月 男はつらいよ
今年はnetflixというインターネット TV加入した。そのコンテンツに映像作品が数多くある。次から次へと新作が出てとても全部は見られない。話題作をいくつか見た。アニメもいくつかこれで見た。facebookにCMの出ていたクラシックTVというネット配信も申し込んだ。これは私が中学時代夢中になったミステリーゾーン(TWILIGHT ZONE)が見られる。しらないうちにamazon primeにも入っていた。このサービスでいくつかアメリカのSFを見た。TVにfire stickという5000円もしないwifiの受信機をつけると、これらのインターネット配信が見られる。それで11月から「男はつらいよ」全48作品を見た。1969年から始まって1995年まで26年間の上映である。私が20歳から46歳までの間の作品ということになる。今年亡くなった中学時代の友人は渥美清に顔つきが似ていた。会うとよく寅さんの真似をしていた。「四谷赤坂麹町ちょろちょろ流れるお茶の水粋な姉ちゃん立ちションベン」という売啖呵である。「おれたちはいつ何が起こってもおかしくない年なんだからな」というのが口癖だった。その言葉通りに先に逝った。これが私とっての一人の寅さん。もう一人は妻の兄で全国の現場を転々としていた風来坊で、この人もフーテンの寅のようだ、と言われていた。この2人の弔い合戦のように私は「男はつらいよ」全作品を見たのだった。見ていくうちに、これはまた私の20歳からのある種の振り返りなんだと気が付いた。
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12月08日