2019.12.31
 
今年もお世話になりました。

今年は古希の年でした。
酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり。
杜甫の詩からとった言葉だそうです。酒代の付けはいたるところにあるが、70歳まで生きることは昔からめったに無い。
楽しいことの代償は必ずついてまわるのだから、70年も生きればあとはやりたい放題だ。と解釈して来年はますますおのが道を精進してまいります。
 
 以下はhttp://blog.pahko.jp/ 2019抜粋です。


1月 巡業公演
巡業公演とは、定時制高校へ年に2度エンカウンターをやりに行くことである。あちこちの定時制高校へ外部講師として初めての生徒諸君を相手に2時間程度の演習をする。今年は5校だけ担当した。毎回まとめを作って関係各所に送る。毎回うまくいくかどうか気をもんでいる。済んでしまえば、概ね好評で来年もまたお願いします、と言われる。これが演劇関係者の公演の感想と似ている。そう思って巡業公演と私の中で呼んでいる仕事である。時間単位のペイが一番多いバイトである。
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1月10日


2月 梅園
この梅林は週3回通勤している職場の駐車場にある。私立の学童保育だが、今年は6年目になる。在職5年を終えたところで私が70になるので、この3月には辞めてくれと言われると思っていた。それであちこち求職活動をしていくつか採用になった。多くはコネのないところで一般の採用選考を受けてなんとかありついた仕事である。ところが辞める話になると思って管理職と面談するとまだやってほしい、とのことである。この職場は65歳が定年だが、私は一応管理職扱い(シニア・マネージャーという名称)なので定年はない、と言われた。ならば慣れた職場で子供相手にゾンビをやっていたほうが面白い。そんなわけで今年は週3日朝の満員電車に乗り、週3日この職場に通勤した。1日は2つの職場を行き来したので、通勤時間は5時間ほどになった。
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2月26日


3月 上智大学 
大学教授の最終講義はなかなかおもしろい。知人から精神分析の大物の講義がある、と聞いてこの先生とはまったく面識がないがでかけた。この先生は東大理3から医学科を出て精神科医になり土居健郎の教育分析を受けた、というからこの分野も大物に間違いない。当日配られたチラシには先生の経歴が詳細に掲載されていた。40年ほど前東大出の精神科医になりたいと思っていた私にとっては自分の夢を実現している方になる。精神科医になれなかっただけでなく、この分野(臨床心理・精神保健福祉)にも今年は気持ちの上で見切りをつけた。40年もかけてやってきたつもりのことをほとんどなんの成果もなく諦めることになった。その理由については下のリンク先に書いた。
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3月9日


4月 井の頭公園
地元井の頭公園の桜は4月の初めころまに満開でこの日は散り始めてしばらくたっている。本来この4月は小笠原に行くつもりで半年まえから準備していた。昨年なくなった妻の母親の一周忌という口実である。ところが坊さんの手配ができず、単に親戚の顔合わせにおわると言う。私は新しい職場の最初の授業を飛ばすわけにも行かないので、予定変更して内地に残り久しぶりの早朝出勤することになった。人事は慌ただしく過ぎていくが、自然は相変わらず毎年同じように暮れていく
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4月8日


5月 函館
かくしてここ3年ばかりの母親の介護が一周忌で一段落したので、妻の慰労も兼ねて1泊で函館へ行ってきた。風の強い日で函館の道路は随分と寂れた印象だった。うに丼を食べ夜景を見て五稜郭に上り一通り観光場所を見て回った。本州と北海道を結ぶトンネルも新幹線で通った。といっても寝ていてなんの感慨もない。
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5月8日  5月9日


6月 G3会熱海例会
昨年もこの時期この顔ぶれで伊東に行っている。しかしその時に同行した、メンバーのうち2人が故人となって熱海には参加していない。ここに写っているうちの一人も今年の9月に亡くなった。医者に見てもらって悪いところがわかっても、どうしようもないから医者には行かない、と言っていた。そしてあの世に行ったわけだ。連絡がつかなくなり、私は住所を頼りにアパートの2階の部屋を覗いてみたが、誰もいなかった。その時はすでに亡くなっていたとあとから聞いた。
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6月12日  6月13日


7月 綾瀬
週に一回綾瀬に通った。昨年は御茶ノ水、恵比寿で授業を担当したが、今年は採点要員である。30人ほどがいる職員室の片隅でパソコン相手に黙々と記述式のレポートを採点する。1日500人分2,000題ほど採点できることがわかった。全国8000人ほどの生徒の答案を私一人で採点するのだ。この仕事は修行みたいで好きだった。職員室内の若い先生方の様子を聞きながら画面を見つめて集中して業務をこなすのは適度な緊張と疲労があり、終わるとしっかり仕事をした感じがした。昼食は毎回必ずこの町の中華屋で野菜炒め半ライスを頼んだ。610円が10月の消費税値上げで640円になった。この店は江戸時代からある老舗の流れで300年の歴史がある、と店の親父が言っていた。
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7月11日


8月 都庁1階
65歳の定年から毎年資格試験を受験した。2年通信制の専門学校に通って精神保健福祉士の国家試験に合格した。次も通信教育で行政書士を受験したがこれは不合格だった。その次は3級の簿記検定合格。半年のシナリオの通信教育は1年近くやったが、12題ある課題を9題終えただけで中座した。その後に目論んだのが電気工事士である。これは参考書と実技練習だけで合格した。半年ほどがんばった結果である。免許状の申請は都庁でやった。いざ免許状を手にしてみたが、それまでの資格同様なんの役にも立っていない。
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8月26日


9月 流れてしまった生前葬
2005年に退職した高校の演劇部の卒業生から、5年前に中座した聖地キャンプを実現しようと5月に会合が持たれた。ただ集まるのでは面白くない。私の生前葬を決行しようと言うことになった。そして日程だけ決めた。その後一泊は無理だからデイキャンプをやろうと場所を予約した。ところがその日は台風15号が通過する直後になることがわかった。急遽場所を変更して、別邸でバーベキュウをすることに落ち着いた。当時の演劇部メンバーはアラフォーの中年ざかりで当然お子さんのいるメンバーも多い。結局大人9名子供5名が結集し、相変わらずわいわいと楽しい時を過ごした。
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9月23日


10月 囲む会
私が教員になったのは27歳のときで赴任校は小笠原高校だった。その時3年間ご一緒した先輩の教員が亡くなったとの連絡を受けた。40年間あっていなかった当時の同僚から電話があった。故人には随分と世話になった。結婚の時は後見人のようなことをしていただいた。両親が早くなくなった私は形だけ整える必要を感じてお願いしたのだった。40年間会っていなかった当時の同僚も会ってみれば相変わらずだった。相手からもそう言われた。当時の生徒さんは還暦になっていた。
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10月14日


11月 駒場祭
初夏の五月祭、初冬の駒場祭と年に2回の例会が恒常化している。いまさら東大でもないんだが、元気なうちは好奇心を満たすために出かけるのも悪くない。行ってみればそれなりの収穫もある。学生の作るプラネタリウムは見損なったが、みかん調査の企画ではみかんを4種類食べられた。説明のスタッフさんが自分の都合だけで詳細な説明をしていたのが印象的だった。私は駒場友の会の終身会員なので、駒場祭に行われる講演会に参加できるんだが、今回は見送った。この前はロバート・キャンベルなどという人気の先生の生講演を聞けた。
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11月24日


12月 ドラクエ・ウォーク
9月から3ヶ月ほどドラクエ・ウォークなるゲームをやっている。ポケモンGOと同じく現実の場所に魔物が登場し、主人公はそれを倒して物語を進めるRPGである。まずふとっぱらなことにダウンロードが無料である。もちろん贅沢をしようとすれば課金してアイテムを購入することになるのだが、基本課金しなくてもまったく面白く遊べる。音楽設定も昔のままでしかも4人組のパーティを組んで戦うことができる。ドラクエファンにはたまらない企画でポケモンより数倍システムが良くできていると思った。過去の名作のドラゴンクエスト4のキャラクターも出てきて十分楽しめた。
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12月26日