2023.12.31
 
今年もお世話になりました。

 コロナ騒ぎは4年目にして、一応制度的には終焉。実際はわかりません。私の知り合いも何人かかかったようです。私はかかったかどうか不明です。医者に行ってそう診断されなかっただけで、感染したけど症状が出なかっただけかも知れません。マスクは持っているけどほとんどかけません。病院に行くときだけはかけます。それ以外は相変わらず、と言っておきます。
 
 以下はhttps://pahko.hateblo.jp 2023抜粋です。


1月 筆者A氏文藝事務所映像試聴会
 筆者A氏とのおつきあいは50年を超える。ことしは年5回、映像試聴会と称して例会を開催した。ここ数年はA氏はシェフとなって自作の料理を振る舞ってくれる。最近はyoutubeでレシピ番組やっている。A氏の腕はみるみる上がり、今年は5つの料理に舌鼓を打った。鶏三昧、タイ式カレー・トムヤムクン、チャプチェライス、カルボナーラ、チゲ鍋と国際色豊かである。食材は近所の店で購入できる安いものばかりである。映像試聴会の番組は、坂道シリーズと時代劇、今年は市川雷蔵ものをメインに扱った。初期三部作も見終わったので、来年は何になるか。そしていつまで続くか。
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1月21日


2月 中学理科室 
 私は半世紀も前に当時の入りやすさから生物学科に入学した。点がとりやすく倍率が低かったので受験したのだ。紆余曲折を経て卒業時に理科の教員免許をとった。それがメシの種になって以来半世紀を超えて教員稼業で暮らしてきた。理科の教員は実験があるので、実験室は長年の棲家である。そして理科室はほとんどが同じ作りである。この中学の仕事は1年で終わってしまった。針金モーターとか物理関係の器具を作ったりしたが、もう使わないことになった。
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2月2日


3月 父島三日月山墓地 
 小笠原は私の教員生活の始まりの場所である。3年勤めて異動の時は島の娘と結婚して内地に帰ってきた。妻の実家が小笠原なので、初めての赴任場所と縁がきれなくなった。この時担当した生徒諸君はもう還暦を迎えている。記録を調べると2012年の夏にきているから、11年ぶりである。この前は10日ほどいる予定だったが、当時私はいじめ案件の担当者だったので、呼び出され急遽内地に帰ることになった。その後来る機会がなかった。仕事づけで1週間の休みが取れなかった。教員が休みの時は学童保育(こちらは休みが稼ぎ時である)と犬の世話があった。そのうち小笠原の義母が亡くなり妻の兄だけが島に残っている身内となった。ぐずぐずしているとそのうち船に乗るのも難儀するかもしれない。それで仕事の休暇をとってでかけた。今度は予定通りいることができた。次はいついけるかわからない。もう行けないかもしれない。だからと言って特別な事はなにもない。
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3月16日


4月 吉祥寺行きのバスより 
 吉祥寺へは歩いて行くことが多い。なんでも住みたい街の上位にランクされているそうだ。そこへ歩いて行けるのだから良い住環境といえる。のか。住んでしまえばなんと言うことはない。私は私から離れられないからだ。有名店がいくつもあるのに、前を通るだけで行く店は決まっている。どこも通り過ぎるだけだ。駅のそばの公園は散歩に丁度良い。カップルが多いが木も多いので気を紛らわすことが出来る。地代が高く店が良く変わる。公園脇の昭和の連れ込み旅館がついに壊されたもの今年だった。 
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4月15日


5月 出勤のホームから 
 昨年は三鷹から電車の乗っていた。今年になって一日おきに立川方面と御茶ノ水方面行きに乗ることになった。日曜日には地下鉄東西線で浦安方面にも行く。三鷹の駅で違う方向のホームで電車を待っていることにハッと気づいてあわてて階段を上りなおしたことは数度ある。そこで作戦を変えて、行き先に応じて乗る駅を変えることにした。これだと辺りの様子が違うので、そこと行く先のホームを間違えることが減る。いまのところその作戦はうまくいっているようだ。
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5月15日


6月 硝子戸の内
 私はめったに体調を崩さないが、4月からの疲れがたまったのか、珍しく仕事を休んだ。年に一度あるかないかだ。飲んでいる薬は花粉症と言うよりは慢性の鼻炎でクラリチンレディタブ錠10mgを一日一粒飲む。それだけだ。飲まなくても鼻水が今日は多いな、という程度である。通院は二月に一度くらい歯科医に行って掃除をしてもらう。健康保険(年額30万少し)と介護保険(年間12万円ほど)は人様のために役立っていることになる。結局1日休んで復活した。
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6月13日


7月 梅雨明け 
 異常気象がずっと続いている。今年の夏はいつになく暑かった。記録を更新しました、というアナウンスにもなれてしまった。それでも梅雨明けはいつも通りにやってきた。この日は久しぶりに課題も済んで一段落して梅雨明けのように気分が良かった。
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7月15日


8月 和み
 毎夏預かっているADHD犬ぎる男ももう10歳を過ぎる。犬の年は7倍すれば人間の年に相当するらしい。もう70のじいさんである。それで最近ではごろりと横になって過ごすことが多くなった。安逸な犬を見ていると和むから不思議なものだ。盆暮れに毎年預かってきたが、それもいつまで続くのか。
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8月15日


9月 マリア館玄関前 
 最晩年の本務業務も今年で10年を迎える。時々細かなミスをやらかしているが、まだ致命的な失敗はしていない。だからやめてくれ、と言ってこない。それでいまだに居座っている。今年は開始以来勤めていたメインスタッフが産休育休で抜けた。その穴をどうやって埋めるかいろいろ悩んでみたが、結局後釜にすんなりと適任者が入って今のところ継続して業務は進んでいる。さすがは神様のお膝元である。ここはかっての女子修道院、マリア館なのだった。そこのシニアマネージャーがゾンビの私である。カトリックは奥が深い。
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9月15日


10月 退勤時 
 進学校に職を得て、自分が好きな科目ではないが、出来ないわけでもないのでなんとかやりくりして半年過ぎた。生徒相手では何の苦労もないが、成績処理は結構難儀した。まず人数が多い。そして入力項目が沢山ある。細かい字を見るのは左目しか見えていないので苦手である。そのうえ学校から配布されたパソコンはB5のノートブックで当然windowsである。なんどか使って見た。大きなディスプレイも付けた。でも今や殆ど使っていない。PDFファイルを生徒宛に配れるらしいが、一度やってみて情報が行き渡っていないようなので、やめてしまった。代わりに化学科と共同で使うパソコンで作業している。自分専用でないので、その日のうちに作業を終えなくてはならない。どんなところにも伏兵が控えているんだと思った。
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10月19日


11月 京成青砥駅

 夜間定時制高校への巡業公演である。この企画は夜間定時制には余り向いていないのではないかと思っているが、毎回のアンケートそして先方の教職員の様子を見ていると、そうわるいもんでもない、と思えて続けている。なにより実入りがそんなに悪くない。下町の学校で外国籍の生徒とか80を超えた年配者の方もおられるので、これが夜間定時制だよ、と思う。この年配者に孫ほどの女子生徒がよく相手をしているのでお互いにとっていいことじゃないか。ここはもう5年ほど通っている。 参考リンク
11月15日


豊春姉妹
  毎年恒例の実家詣。実家と言っても、私の両親は50年以上前になくなっている。私は末っ子なので、一番上の姉が私の生徒時代のいわば親代わりで、だからその姉妹が住んでいるところが実家相当になる。兄も近所に住んでいて、その娘が2人やはり近所に住んでいる。この2人の娘の子供にお年玉を渡すのが年末の年中行事と化している。年に一度しかこない。そのうち姉たちは施設に入ってしまうかもしれない。今のところは二人で罵り合って元気にやっている。
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12月24日