1月 絶品うなぎ屋★5つ 
筆者A氏文芸事務所映像視聴会の新年会はうなぎで決める、とネットで検索してみつけたうなぎ店。もちろん文芸事務所から遠くではない。この例会毎年4回ほどこおなっている。調理研究科でもあるA氏がyoutube視聴の成果を毎回見せてくれる。いつもごちそうしてくれるので、今年は私が絶品うなぎをも持ち込んだという次第。いぜん、大崎広小路に店からテイクアウトを持ち込んだことはあるが、そこを凌ぐ逸品だった。地元の人が家に持ち帰っていくのを行列して購入した。
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1月13日 |
2月 義兄ご逝去  妻の兄がなくなった。晩年は病院ぐらしの厳しい日々だった。生前何度かお会いしたことがある。いつもおだやかな笑顔を絶やさない温厚な人だった。妻も私も平成令和からすると大人数の兄弟の末っ子である。年下の妻の兄弟のほうが先に逝くことが多かった。この方で3人目である。私は20代で両親を失ったが、妻は私と結婚してから父、母と送っている。お二人共島から東京移送され、最後は東京で看取ったのだ。その時、末っ子の妻は随分と活躍した。母親のときは別邸に介護ベットを持ち込み3ヶ月ほど面倒を見た。100歳でその母親を失ってから次々と兄に当たる人がなくなっていった。私の兄弟の方は95の姉を筆頭に全員まだこちらにいる。そのうち私の方に順番が回ってくると思っている。
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2月4日
1月28日 |
3月 孫の机 ・・  私の子どもは長女一人でその一人っ子が結婚して初孫がやはり一人っ子の女の子。これが少子化の現実である。今は小学校5年生になっているが、小学校4年生の9月ころから不登校になっているという。昨年の12月にペットホテルにお犬様を連れて来たときにわかった。娘は言いにくかったんだと思う。 小学校へ連れて行くと怖がって体が震えている、とか典型的な状態になった。娘の会社がコロナの影響以来自宅勤務をみとめていることもあって、会社を休んで相手をしていた。家ではゲームをしてだらだらだしている、という。小学校では特別クラスを作ってそういう児童を可能なときに登校させて様子を見ているという。民間のフリースクールみたいなところにも行ってみたらしい。私がその方面の勉強をしていたので、精神科医に見せたり、心理テストをしたり、そういう結果をLINEで送ってきたりした。 そこで私が家庭教師を申し出た。1回交通費込みで3000円ほどで様子を見ようとの提案である。こうすれば言い訳が立ち、私の小遣い稼ぎにもなる。2月3月と週イチで言ってみたが、そのうち約束を忘れて友達と遊びに行ったりしてこの4月で毎週行く約束はやめて様子を見る事になった。私は孫を見る言い訳もできて母親の負担も減って孫の学力の足しなればいい、と思っていた。しかし「じいじが来ると勉強しなくちゃいけないからやだ」と言われて辞めることになった。 それから1年、相変わらず不登校気味らしいが、特に言ってこないので、こちらから言うこともない。今年は6年生になる。中学に進むことになるが勉強不足が気にはなる。これも致し方ない。通信制高校など情報は持っているので、必要ならそのうち言ってくると思っている。
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3月24日 |
4月 播磨坂桜まつり  文京区の名門校勤務も3年目になった。私の教員生活は離島3年間で始まり夜間定時制高校12年無学年単位制14年私立小規模ミション校9年。その後通信制高校7年といずれも普通でない学校に勤務してきた。その教員生活の最後にいわゆる名門校に勤務して授業をしてみると、こんなに楽なことはない。生徒は勝手に勉強する。こちらは生徒の勉強の邪魔をしなければいい。質問を受けても、どう答えようかと考えていると、あっわかりました。と自分で納得して終わることもあった。 ここだけの話、こういう学校で勤務している先生方は随分と気楽な殿様商売をやっているな、と羨んだ。もっとも英語科、数学科の課題の多さ、提出物の量を見ていると時間的には結構たいへんだと思う。 しかし、かっての下駄箱でホカベンを開け(教室ではなぜか食べられない)その後始末、下校後は校門前の煙草の吸殻を回収(翌日の全日制の登校に支障があるから)などかなりの感情労働をつめてきた身からするとぐちの一つも言いたくなるものだ。しかし自分から選んだ道なのでだれにも文句は言えない。 この学校はさすが文京区だけあって、周りの環境も素晴らしい。この播磨坂も桜の名所である。付近の食べ物屋も値段やすく、味も良いまち場の名店が多い。体が続いて頭がボケない限り続けていきたいところだ。
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4月7日 |
5月 送り業務  キッズの送り業務。この仕事も11年目になった。小学生で一番面白いのは低学年、1年生男子など文句なく面白い。私はゾンビと言われているが、1年生だとそんなのウソだろ、ゾンビなら痛くないんろう、とか本気で蹴ってくる。オマエ、ゾンビになりたいのか、とナマハゲばりに追いかける。すると本気で逃げる。この本気というところがたまらない。女子は言葉も早くいろいろ知恵が回っている。それでも気持ちの優しいところも本気で出してくる。あきらかに男子女子は、明確に存在する。そしてそれが一人ひとり違っている。人格の違いがはっきりわかるのも、低学年である。 この仕事も事情が許せばできるだけ続けたい。今年は秋に設立当初から努めていた有力スタッフがやめた。保護者対応、子ども対応、大変配慮のできる人でそのため少々やりすぎるところもあったかもしれない。私はこの人の後にキッズ業務に入ったので、いわば先輩に当たる。そのため冬には久しぶりにこの人がやっていた早朝勤務についた。これもまた懐かしかった。
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5月20日
12月19日 |
6月 マリーアントワネットのグラス  かって勤めた高校での付き合いが続いて、その高校をやめたあとNPOの活動に関わることになった。2015年のことだからもう10年になる。私は東京中途半端な下町庶民なので、こういう意識高い系の活動は似合わない。それでもまあ付き合いで続けている。一度初めたら自分の都合でやめるのも気持ちが悪い。うまいところだけ掠め取って生きていくのを快しとしない、というのも庶民性である。 その付き合いで普段はとても経験することもできないところを見せて貰う機会もできた。この国分寺マンションは管理組合に専門家が多く自主管理としては成功している歴史あるマンションである。駅から至近で交通の便もたいへんよろしい。その管理組合の重鎮のお宅に招いてもらったときのことである。 晩年を迎えて、この付き合いもやめたいという気持ちもあるが、多分ずるずる続けて組織廃業までいる気がする。その手続きにも立ち会う気がしている。貧乏くじを引いた残務整理、それも避けがたい生き方である。
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6月27日 |
7月 夕焼け  以前は休日によく外出していた。映画を見に行ったり秋葉原へ買い物にいったり、いずれはなにか用事を作って外出していた。最近では休みの日は家にいて一歩も外へいかない日が多い。大抵はしなくていけないことをしている。仕事以外にそういう心理的業務を作って過ごしている。空き時間はyoutubeなど動画を流し見していることが多くなった。この土曜日もそういう日だった。夕方が来て西の空を見るときれいな夕焼けだった。このときは玄関を出て路地から写真を取った。
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7月19日 |
8月 ペットホテル業務  ペットホテル業務も10年越しである。初めは幼犬で可愛いかった。今では老犬となった。犬の1年は人間の7年分という記事を読んだ。するとこのギルりりも立派な高齢犬となる。この夏はギル男の様子がおかしかった。りり子は相変わらずくいしんぼうの八方美人犬だった。しかしこの秋にヘルニアとなり歩こうことができなくなった。それからリハビリ生活が始まり、冬に預かることがなく、ペットホテルも閉業した。もう2,3年というところだろう。私は犬を飼える環境で育ったのでなかった。夏冬の短期間であるが、しっこうんちごはん散歩の世話してみると、犬はこちらに感情を全力で向けてくる。それが可愛い。それも今年で終りとなるのか。10年続いた身の回りのことがいろいろ変わっていく。
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8月11日
8月13日 |
9月 隣家の解体  今のところに住むようになって31年経過した。ずっと間借り生活をしていた私が初めて持ち家に住んだ。この30年にリフォームを2回した。10年前には不動産屋からの申し出で築40年の隣家も所有した。 この界隈は一つの敷地を8軒で分けて住んでいる。道路から一番奥まった家を購入した。40を過ぎてからの購入だった。 なんの計画もない。当時住んでいた団地が建て替えになって追い出されることになった。中学生の娘を転向させるのも忍びない。同じ三鷹市の中古物件を探して購入した。資金は銀行でローンを借りた。30年で満期は75歳になっている計算であった。公立学校の教員だったので、不祥事を起こさなければ身分は固い。それで銀行も貸してくれた。 退職金で途中返金して、残りも姉から無利子で借りて用立てた。持ち家の借金はなくなった。途中購入した中古物件は介護ベットを入れて義母の介護、夏冬のペットホテル業務、月に数度の同窓会雀荘、別邸映画館と大変有効に活躍した。 最近、この界隈で家の解体が進んでいる。この多目的別邸の隣家の持ち主がなくなり、しばらくして解体されて更地なった。今年きれいな新築が経ち、なんだかクリエイターさんのような女性が引っ越してきた。そしてその新築の家の前の家が解体された。ここには老姉妹が住んでいた。その姉妹の一方が施設に入ったようだった。しばらく空き家だったこの家が9月に入って解体工事に入ったのだった。
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9月22日 私の住宅事情(1) |
10月 めったにない観劇  私は世の中のことに自分と関係があることとそうでないことを分けて暮らしてきた。例えば、観劇。元演劇部の顧問にしてはあるまじきことに、金を払って劇を見るという娯楽は私と無縁である。なので、自分からお金を払ってチケットを買ったことはない。 映画は自分と関係ある出来事だと判断している。なので、チケットは自分の金で購入する。映画館の年間クラブにも入る。しかしパンフレットは購入したことはない。それは自分とは無縁のことなのだ。子供時代3本立ての映画に何度か行った。パンフレットは薄く情報量も少ないのにけっこうな値段がする。購入する余裕はない。それでパンフレットは私とは無縁と決めた。それは大人になって自分のカネを稼いでからもそうだった。 観劇もパンフレット同様、じぶんとは無縁の世界のものだった。それがいい席を割引で入手できることになった。それでこれも初めて妻を誘って明治座に見に行った。こんなことをするのは、よくドラマにある不治の病にかかった主人公が生きているうちに、後悔のないようにできることをリストアップして、それを行っていくというあの心境である。共通テスト受験もこの流れなのだといま気がついた。
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10月25日 |
11月 さらば柿の木  この柿の木は10年前隣家を購入したときに庭というにはあまりに狭い土の地面があった。そこに近所のホームセンターコーナンから買った木を植えた。苗木は50cmほどの小さなものだった。桃栗3年柿8年の言葉通り、今年はかなり実がついた。 今年は沢山実ったが、地面にヘタばかりが目に付く。なにかが食べ散らかして残ったヘタをばらまいているようなのだ。夜になるとipadでラノベを読んでいる妻が、くふっくふっとケモノのような声がする。それがきっと食べているんだ、という。そのケモノを見たことはない。ハクビシンなら見たことあるが、そうとも思えない。まさか流行りの熊がここまでくるとは思えない。正体が見えないので、不気味である。残った実を食べてみると渋柿だった。こんなものを食べるケモノがいるのか。 そしてこの隣家を解体リフォーム増築することを計画しているので、2階の高さにまでも伸びた枝をバッサリやることになったのである。
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11月30日 |
12月 最後の年末帰省(多分)  昨年まではこの帰省と呼んでいる姉の家への訪問は結構抵抗があったこともある。家が片付いていない、何もできなから無理してこなくていい。と下の姉が電話口で言っていた。なんだかいろいろ億劫らしいのだ。 その前は年末に家のローン返却にあてる金をかりたので、それを返しに行っていた。まあそういう用事を作って会いに行っていた。また年末に行くのは兄の孫にお年玉を渡すためでもある。その時兄はお返しに私の孫にお年玉を用意している。その交換を年末にやっていた。兄の孫娘が今年高校を卒業するので、こちらからはもうお年玉をあげることはない。なので、この年末訪問も今年で終りとなるだろう。昨年はしっかりしていた長姉が今年はなんだか話も少なくあちらの世界が近いみたいだった。母を早くなくした私にとってこの長姉は母わりなのだった。なので来年は3月9月のお彼岸を訪問の時期にしようと考えている。 参考リンク
12月25日
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