2014年12月04日(木)
高校古典講座 [雑文]
管鮑の交の後編
鮑叔は菅仲を君子に推薦して、自分はその部下になった。
それで、鮑叔の家は代々、領地を与えられ、名家となって続いた。
世間では、菅仲の才覚を重く見ないで、鮑叔の人を見る目を評価したわけだ。
菅仲の政治手腕(カンノミクス)は、まず自国の海産物を元手に商売して金をため、軍隊強くして、民衆の好み通りにした。富国強兵ってやつ。米倉がいっぱいになって初めて礼儀道徳が行われる。着るもの住むところがちゃんとして、名誉を重んじ恥をかかないよう気にすることになる。(衣食足って礼節を知る、はここから来た)上のやつが決まり守れば、家族の絆がちゃんとして世の中は治まる。四維(あいさつ・約束・清く正しく・恥を知る)がちゃんとしていないと国は滅びる。お上がおふれを出す時には、上流から水が流れるようにすれば、下々は皆従うんだ。そんな考えだったので、民衆は身近に感じて守りやすかった。民衆の望むことをして、嫌がることはやらなかった。
まあ、ここから管鮑の交、って言葉がでてくるんだけど、男は自分を理解してくれる男のために命をかける、ってことだよね。任侠の健さんは親分のために命かけるでしょ。そんな男同士の友情を表す言葉だ。女は自分の好きな男のために死ねるけど、男を理解しているわけじゃない。
ところで、講師の先生が紹介した司馬遷の略歴がすごい。
歴史編纂を任される家系なんだけど、親父は天子のする儀式に参加できなくて(行って見なければ歴史が書けない)憤死した、と書いてある。あまりの侮辱と感じて脳の血管ブチ切れたってことだろう。まあ、中国は激しいから、断腸の想いとかあるよね。腸を切っちゃうんだからすごい。で、その息子、司馬遷も歴史編纂の仕事を引き継ぐ。匈奴に捕まった将軍を弁護したことで帝の怒りに触れ、去勢されちゃうんだ。すごいよね。普通はこの恥辱に耐えられず自害するらしい。でも司馬遷は親父から引き継いだ仕事を選ぶんだ、そして史記を完成させる。そういういわれのある男が書いた記録だから、「管鮑の交」なんて言葉もなんだか凄みを増してくる感じがするな。
Posted at 08時05分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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