2018年04月18日(水)
春の昼 [日記]
今日の一句
春の昼あたりを走る霊柩車 浮浪雀
葬祭センターで葬儀を行った。
通夜はなし、告別式相当の会である。
香典はなし。食事代1人5000円也。
仏は100歳でこれを親の代とすると
子どもの代の参列者は、
75(喪主)、71,68,67,70,63,69の7人
孫の代は、42,39,36,41,43,43,43,37,の8人
これで参列者15人となる。これにひ孫の世代、0歳が加わる。
すべて血縁関係者。
坊さんは柔道の選手のような巨漢である。
自分語りを始めた。
僭越ながら、私の子どもが2歳でなくなった。
自分は10年前に進行性のガンだとわかった。
それでもなんとか永らえてこの仕事をさせて頂いている。
言いたい真実はただ一つ。
と強調している割りには、仏はここにいて皆様を見ている
もちろんみなさまの胸の中におられます。
としごく標準的なことを言う。
戒名は、釋尼信華(しゃくにしんか)
私の知っている戒名は、女性の場合、姉とか大姉とかいうことばがつく
ここでは、尼、というのが女性につく戒名のようだ。
坊さん、それでも親鸞直系で大変位の高い方のようである(葬儀屋の話)。
最近の簡便法で初7日の法要も続けて済ませた。
それでお焼香は2回した。
この葬祭センターで一時間お経をあげて、車に分乗して焼き場に行った。
この焼き場は23年前に今回亡くなった人の夫を焼いた場所である。
呼ばれたんだねえ、ということになる。
霊柩車には、妻が位牌を持ち喪主の娘(仏からは孫)が写真を持って乗った。
葬祭センターから30分ほどである。
5番の釜で焼いている間、会食となる。
親戚同士なので、特に挨拶献杯もなく仕出し弁当を食べる。
一時間ほどして、骨壺に骨を入れる。頭の骨、のど仏、肩甲骨、腕、膝
大腿骨、膝、かかと、などそれぞれの部位を紹介して陶器の筒に入れた。
それから喪主である姉の家に骨壺を運び、祭壇を作って写真と戒名の札を飾った。
10時半から16時まで所要5時間半。往復の時間もいれれば1日仕事になる。
前回、この顔ぶれで会ったのは、たしか喪主のご主人が77歳で亡くなったときで、
その次が子の代の66歳が舌がんで亡くなった時だ。その前が孫の代の43歳が結婚したとき。要するに冠婚葬祭の時しか顔を合わさない。
私は娘と久しぶりに顔を合わして面白かった。坊さんが読経している間中、前に座っているひ孫0歳を変顔をしてあやしていた。これがなかなか受けた。娘の子=仏から見ればひ孫3歳は反抗期でじっとしていないので、連れてこなかった、という。
ここ一年4ヵ月の晩年に一つの終止符が打たれたことになる。
「他の人の時となんだか違う。納得できない。お母さんはもういないんだ」
「お母さんは骨になってしまった」と妻。
Posted at 22時22分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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