2018年06月17日(日)
バナナ [日記]
今日の一句
こらそんなバナナことを言うな 浮浪雀
あしたのジョー2
なかなかホセ・メンドウーサ戦までいかない。
昨日の夜見て、
今日の夜見て
なかなかおわらない。
東京ムービー新社っておばけのQ太郎やったところじゃないかなあ。
アニメーションと言うよりは絵物語だけど。
体育館指導員
目で解く幾何
円
3ページほどすすむ。
楽勝に終わる。
エッコまーこおくみが来てまあジャンをしている。
妻の100歳の母が亡くなって2ヶ月が過ぎた。昨年の一月に別邸に越してきて一年と三ヶ月。三ヶ月は別邸介護をしていたが、埼玉に頃合いの特養が見つかった。なかなか条件に合うのは見つからないから強運である。島のケアマネさんのおばあちゃんが入っている所だった。その口利きである。入所して一年。途中3度ほど肺炎で入院治療。そのたびに生きて退院できない、と言われて復活。大正生まれはダテじゃない。デイケアの会話だと、先輩のばあさまが「あんたいつだい。私はさるだよ」「私はうまです」「それじゃお姉さんだ。元気ですね」ということになる。大正七年1918円午年の生まれ。昨年の4月には特養のそばの公園に花見に行った。いっしょに花見をしたのはそれが最後だったが、うどんの民芸などにはその後も何度か行った。延命治療は断った。胃瘻、延命の点滴のたぐいである。酸素は喘息気味で苦しいときお願いした。
年があけると見舞いに行ってもすぐに寝てしまう時期が多くなった。皮膚は薄い皮一枚になって少し当たると内出血した。施設の人はそれをいちいち断っていた。虐待と思われたくない、ということだった。4月に入って100歳を越え、年金が振り込まれるまでながらえた。4月15日は日曜日。施設の人は臨時に連絡が行くことがあるかも知れません、と言っていた。その連絡が午前中にあった。妻は姉に連絡して電車に乗ったが、池袋まで行ったときにまた携帯に連絡が入り事切れたということだった。私は体育館の指導員をしていたが、メールを見て中抜けしていったん家に戻り義母の郵便通帳を取り本局に行った。死亡が確定してしまうと預金を下ろすことが出来ない。当面必要な金額を降ろすとまた仕事に戻った。他にすることはない。
すでに「小さなお葬式」という葬儀屋を調べてあった。電話をするとただちに引き取りに来てくれて最低限の葬式をしてくれる。その週の水曜日には葬祭センターで葬式をした。近親者のみの集まりである。通夜も告別式も初7日も全部込み込みで8万で済んだ。坊さんは結構大物が当たった。最後まで運の強い人である。お骨は姉のマンションに置いた。それでとりあえずの処置は済んだ。
ふるさとの小笠原に納骨するのは秋にしようと初めは話していたが、脳梗塞の長男が治療に東京へ来るので、その帰りにお骨を持っていってもらって、島で49日を行えばいい。一年経った来年の4月にまた親戚の顔合わせの食事会をすればいい、と話が決まってお骨は島へ帰った。電話連絡をあれこれやって、島で49日もなんとか執り行い納骨も済ませたという。やれやれである。亡くなってから3週間ほどして妻の慰労の1泊旅行をしてみたが、帰宅後1週間風邪で寝込んでしまった。一年間毎週欠かさず見舞いに行って、入院すれば毎日通院していた。その緊張の糸が切れたと言うことなんだろう。もうそんなことはないのに、お母さんの電話がかかってくる気がする、といって落ち着かなかった。そのあとなんだかうどんが食べたい、と食事はうどんばかり食べるようになった。母が死ぬ前、うどんが食べたいといつも言っていたかららしい。お母さんの呪いだ、と軽口をたたいていた。しかし、お父さんの時はこうじゃなかった。と自分の中をのぞき込む目でつぶやいた。父親が亡くなった時も三年ほどリハビリの病院から老人病院と移される度に付き添って週に一度は通院していた。妻は6人兄弟の末っ子、私は5人兄弟の末っ子で、小さいときは兄姉からお年玉をもらったり、いろいろ世話になってよかったが、年をとってみると結局親の面倒から先に逝く兄弟姉妹を送らなければならない。結局は因果が巡ってこういうことになるんだ。私は五〇年ほど前に両親を亡くしているから両親を送る気がかりはない。ただし親代わりだった姉が88歳でlこれはもうじきだろう。その下の姉はもう施設に入っている。子どもがその面倒を見ているので、亡くなったら連絡が来ると思う。その下の姉がもうじき80になるのか、そして私と3つ違いの兄がある。それらがこれから次々と旅立っていくのだ。妻の方は、脳梗塞の兄を筆頭にめっきり足腰が弱った姉、その次の兄は唯一まだ元気で現場仕事をしている。その下の兄は三年ほど前になくなった。その下の兄は難病で特養を捜している。そしてまだ元気な妻と言う順番になる。
よもやこうなってみれば、やりたいようにやるしかない。それで私はゾンビタロット占いの仰せの通りに次々と仕事を入れ、空いた時間は人と会う約束を入れ1日にしなくていけないことが3つも重なっていたりする。何年か前に独りごちたように生涯現役行き倒れこそ本望の条件がそろってきた。
私は70になったら今のメインのゾンビ業務は退職になるので、60代のうちにあれこれ履歴書を書いて次々と就職活動をしているのであったが、この前ゾンビ業務のボスにそのことを言うと、いや65をすぎればあとは天井はない。昇天するまでやってくれとのことである。それは考えていなかった。気持ちの整理がつかない。いずれやることになるんだろうがその予定がなかったのであちこち手を出しすぎた。
Posted at 21時11分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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