2020年02月09日(日)
紙風船 [日記]
今日の一句
紙風船高く高く打ち上げようよ 浮浪雀
5時に起きる。
蛍草 菜々の剣
身分社会はええのう。
郷愁にも似た時代劇。
心の傷を癒すということ。
最終回。静かで着実な演出はいいけど
もう少し現実は雑駁で余剰分があるはずなんだが。
主人公がガンの痛みに耐えかねて呻くと
隣に寝ていた妻が起き出して看病する。
が、今度は妻がうめきだす。産気づいたのだ。
ここは絶体絶命のシーンで息を飲むところだ。
ここで、私は笑い出してしまった。
そうくるのか、こりゃ大変だ。
なんとも不謹慎だが仕方がない。
39歳で主人公はなくなってしまう。
恩師が見舞いに来るシーンがある。
中井久夫がこうなのか、と思うと
近藤正臣の演技を見る私に負のバイアスがかかる。
江本祐はよかった。
西葛西成績処理。
これは慎重にやらないとまずい。
久々に現役気分だね。
さいたま新都心へ服を買いに行く。
入場券が必要なバーゲンセールである。
昨年亡くなったじいさん会のU君の法事は
結局参加しないことになった。
遺族の長男さんは来てほしいということだったが、
実は訳ありである。
晩年U君は木造アパートの2階に一人で住んでいた。
住所を頼りに私が訪問した時は既に亡くなってから1週間ほど経っていた。
それは後から知った。
ここ六年ほど年に数回、じいさん会で会っていたが、
われわれはほとんどそういった自分の生活の話はしなかった。
お互いの住所も知らない。
連絡はメールで行っている。電話番号は知っている。住んでいる町の名前ぐらいはしっているが、正確な住所はお互いわからない。年賀状のやりとりもない。郵便をやりとりするような面倒なことはよそうな、という暗黙の合意があったように思う。
私がなぜ彼の住所を知っているかというと、彼が私のところへ
CDを30枚ほど送ってくれたのだ。何かのついでに好きな音楽の話になり
70年代のロックはよく聴いていた、と私がいうと、じゃ、聞くのならCDを送る、
と言って送ってくれたのだ。OASISのほとんど全てのCD、DVDと80,90年代の
ブリテッシュロックだった。中には後楽園ホールのライブチケットなども入っていた。
身辺整理をしようとして、処分するには気持ちが残る。かと言って持っていてももう聞かない、そのまま10年以上経ってしまった。聴いてくれる人がいれば受け取ってもらうとありがたい、そういう気持ちであろう。私も同じことを考えているのでよくわかる。
その時に彼の住所がわかったのだ。
U君と親しかったじいさん会のメンバーのいうには、U君は岩手で結婚して長男が出きた。その後離婚して東京へ出てきて、不動産屋をやったりタクシーの運転手をしたり、いろいろ仕事を変えたようだった。名前も高校時代のUからKに変わっていた。だから長男の名前はKだった。しかしじいさん会では当然のようにUを名乗っていた。U君には弟がいた。昨年12月に法事(多分四十九日)が行われる予定だったが、それが行われず、この前の水曜日に予定されていた。それが天候不順(雪で交通機関が止まるかもしれない)で叔父さん(U君の弟氏)が来れないということでまた中止となり、今度はこの11日に行われることになった。それも1周忌だというのだ。
実は8日に我々は墓参りを済ませるつもりだった。三日あけずにまた同じ場所で法事にいくのは、少し迷う。まして、年に数度会うだけの同窓生の間柄で喪主のことなど何も知らない。先方はメールで来てほしいと言ってきたが、どうするのがよいのか迷うところである。
私は少し考えて結論が出せず、そのうち収まるところへおさまるだろうと、放っておいた。できればじいさん会を11日の法事の後におこなえば一日で済む、ということは考えた。その時礼服を着るのが少し億劫だった。億劫と言うよりズボンが入るか試してみないとわからない。昨年のこの時期、Y校の同僚が亡くなった時に着て以来だ。その時より2kは体重が増えている。昨年も少し辛かった。この礼服は20年ほど前に作ってずっとそれ一着でやってきたのだ。
礼服の件も法事に参列する際の障害になっていた。
じいさん会では、諸般の事情を考えてお花を送って弔意をあらわすことに止めようという結論になった。今回は礼服を着ないことになったが、これからは葬儀関係が増える。礼服に袖を通す機会が多くなる。それでここでひとつ作っておく必要を感じだたのである。
礼服と靴とコートを購入して、当初の目的を達成した。値段は値札の6割ほどなので、これもよかった。
帰宅後成績処理の続き。
Posted at 20時10分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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