2006年06月13日(火)
ナイター [加齢黄斑変性]
今日の一句
ナイターの外野席にてプロポーズ 浮浪雀
眼にはUVカットだけでなく、
青い光も遮光した方がいい。
遮光レンズを作っているメーカーがある。
加齢黄斑変症のBBSに紹介があった。
東海光学株式会社というレンズメーカーのホームページを見ると、
医療用遮光レンズと銘打って
400nm以下の波長をすべてカット、
400〜500nmの光を一部通す製品がある。
網膜変成症などの疾患によろしい、
と書いてある。
さらに医者の処方箋があると、
補助金がつく。
網膜の疾患でも、加齢黄斑変成症はまだそこまで
一般的ではないらしい。補助金の対象にはなっていない。
さっそくその会社の東京営業所に電話すると、
レンズメーカーなので眼鏡は作ってくれない、という。
ガンキョウテンで検査のあと注文することになります。
と担当者は言うのである。
ガンキョウテン?と一瞬何を言われたかわからなかったが、
眼鏡店、要するにメガネ屋なのだった。
当社の製品を扱っている店舗は東京では2店、
四谷と東京駅の丸ビルになります、とのことだった。
さっそく総本山である東京駅丸ビル4階店に行く。
東海光学社製のフィルター板をあれこれ眼にあてがって
確かめてみるが、それほど大きな違いはない。
晴れた日に実際屋外で確かめていただくのが一番です。
と年配の店員が言う。
現在は中近の様子がよくない、というと
型通りの検眼をして、まず中近のものを作る事になった。
いくつかあててみて、そのレンズに遮光の色を入れてもらう。
該当の商品は1種類しかない。
レンズは1枚24000円である。
合わせて2枚消費税がつくと、5万円を超える。
それしかない、というので注文した。
できるのは、10日先である。
眼鏡はいろいろ買った。
この3つが現在使っているもので、
いずれも大学眼鏡研究所のものである。
一番手前が遠近用。次が不具合な中近距離、
一番奥が手元用である。
遠近用は具合がよろしいのでしばらくこのまま使うつもりである。
薄く色が入っていて、これをかけると世界が飴色につややかな感じなる。
いずれもUVカット100%というが、可視光はカットしていない。
そのせいだろうか、中近距離のものはなんだか眼が疲れる感じがする。
それで残り2つも青色を遮光したものにしたい。
これ3つで10万円ほどしている。
これが始めに作った中近距離用のものである。
もちろん累進焦点レンズ。眼の度が進んだので
新しいの作った。これは予備としてとってある。
度があわないので見えなくなった、と思い込んでいたが
黄斑変成の症状のせいだったかもしれない。
西友で購入。かけてみるとそれなりに見えるから
忘れたときのために、とか自分に言い訳して買ってしまう。
手前から、度数2.0 1.75 1.5 である。もちろん単焦点なので、
手元の固定した作業しかできない。
一応UVカットとかいてあった。
長くかけると疲れるので、実際はあまり使っていない。
これがサングラス類。手前はカルバンクラインで1万円弱。
サングラスがいい、と聞いてともかく作ったもの。
暗く見えるだけである。UVは100%カット。
ただ暗くなるので瞳孔が開いてしまい、可視光線の有害な光も
網膜に届きやすくなる、との記事を読んだ。
そういうものかもしれない。
のこりは黄色い色が付いている。
吉祥寺三越閉店セールで購入。それぞれ2000円であった。
そのふちの光ってるところが新庄みたい、と妻。
かけると眼が楽になる感じがする。
映画など見るときいいかもしれない。
度は入っていないので、近くはまったく見えない。
100円ショップで買ったケース
少し大振りだが以外としっかりした作りで
100円ショップもばかにできない、と思う。
これも大して使わないのに
なぜか得した気分になり買ってしまう。
ものが大きく見えると
眼がなおったような感じがする。
実のところ、いくら拡大しても
見えない中心部は見えない。
通りがかりの店頭に
この手の商品が置いてあると、
これが手に入れば、
魔法のように眼が見えるようになるかもしれない、
そう思って買ってしまう。
めったに使わない。
時計用の片目にはめるものは
子ども時代、憧れていたので大人になって買った。
子どもの時に憧れていたものは
たいてい手に入れられるようになったが
子ども時代のあの渇望は消えている。
どうも、思うように行かないものである。
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2006年06月12日(月)
2006年06月11日(日)
梅雨入り [ネット業務]
今日の一句
梅雨入りや今年も梅干し作ります 浮浪雀
例によって
5時起きの後は
Z会積分。一応終わる。
嫌われ松子の一生、を見る。
☆4つ。この監督,前作「下妻物語」の深田恭子といい
この中谷美紀といい、女優の力を引き出すのがうまい。
大林宣彦と似た資質を感じる。
久しぶりにネット業務。
2005年の写真ページを一つ一つ作る。
タグうって、他のサイトにあるアーカイブの写真を
手元にダウンロード。それを自分のサイトにあげて
その番号をいちいちうつしてリンクを張る。
こういう面倒な作業は自動化するといいのだが、
いまだにやり方がわからず、手打ちでシコシコやった。
前回の記録を見ると2005.11.6となっていた。
この後、加齢黄斑変成症になって、
ネット業務どころじゃなくなった。
もう6か月たったことになる。
眼の方は相変わらずだが、
発症当時よりは少しいい。
やろうと思ってほっておいたネット業務もある。
できるところまでやっておこう。
3ページ分作ったら疲れたのでやめる。
作業ついでに当時の日記を読み返した。
なかなか面白かった。
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2006年06月10日(土)
2006年06月09日(金)
2006年06月08日(木)
蟻 [晩年]
今日の一句
黒雲の羽蟻もとめて蛙鳴く 浮浪雀
大学時代の友人Tが亡くなった。
奥さんが帰宅したら、冷たくなっていたという。
まったく急な事であった。
友人といってもそれはもう30年ほど前の事だ。
彼は日芸を卒業して、フリーランスの写真家だった。
私の結婚披露パーティの写真を撮ってくれた。
数年ほど前までは年賀状をのやりとりがあった。
そのうち音信がなくなった。
知らせてくれたのは
高校時代の友人Aである。
そのAとも1年ほど会っていなかった。
お通夜に行ってみると、
写真業界すじの方ばかりで
知っている顔はひとつもなかった。
これは場違いのところへ来てしまったか、
そう思った。
お焼香のあと、
お清めの席に行く。
やはり知った人は誰もいない。
黙ってつがれるままビールに少し口をつけた。
同席の人はそれぞれ知り合いらしく
控えめに談笑などしている。
私は黙ってビールを飲んだ。
まだまだ現役のTが亡くなったのが信じられない。
遺影はジージャンを着てネクタイをして
いかにも現場のカメラマンといった感じである。
それを見ると、やはり逝ってしまったのか、と思う。
自分を納得させるようにその写真を見る。
帰ろうとするご婦人を知っていた。
あとを追いかけて声をかけた。
彼女に会うのも30年ぶりかもしれない。
髪も年齢相応に白くなっている。
振り向いて少し笑顔を見せた。
若いときそのままに魅力的だった。
誰もいないから、帰ろうと思っていたのよ。
そういって、私の座っていた席に来た。
そこへ友人Aが遅れてやってきた。
甲府まで出張した帰りだという。
そこへ喪主の奥さんが来た。
やりたいことがいっぱいあっただろうに・・・
と顔を伏せる。
奥さんは私を憶えていた。
しばらく4人で立ちすくんでいた。
彼は私と同じ年のはずだ。
お前も若くないんだぞ!と
背中をどやされた気がする。
1時間ほどいて
それぞれ帰路についた。
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2006年06月07日(水)
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