2017年02月08日(水)
2017年02月07日(火)
椿 [日記]
今日の一句
きれいな花だねえ隣の椿 浮浪雀
確定申告
昨年私学の互助会の保健を申告するのを忘れた
社会保険料は1年前でも大丈夫だという。
ウマくいけば納めた税金が少し戻ってくるかも。
税務署に電話。
対応が大変親切。
最近公的機関の対応は丁寧である。
今回の確定申告ではなく、
返還請求と言うのをやるそうだ。
すでに受け付けている。
それでまた書類をあれこれ引っ張りだし
確認すると、昨年の確定定申告書が出てきた。
社会保険料として、415,549円控除欄に記載されている。
む、この値はちょうど申請漏れだと思っていた互助会費と介護保険を加えた値に近い。
どうやら昨年も申請して、そのことを忘れていたらしい。
欲を掻くとろくなことはない。
残念でした。
行政書士・簿記と来て、次は税金関係だな。
社会保険労務士かFP(ファイナンシャル・プランナー)か
民間資格で全国経理検定協会の法人税能力検定などというのがあるらしい。
ちょっと微妙だが、勉強の足しにはなりそうだ。
天井のシーリングライトを取り付けようと思ったら
電気工事士の資格が必要と来た。
じゃ、やってみるか、とこの前思った。
国家試験会場で息絶える、というのもなかなか乙じゃないか。
業務1
来年度書類をあれこれ印刷して、募集業務をやった。
教材印刷講座補助。
今日は送りなし。
定時撤収
轟沈
Posted at 22時02分 パーマリンク
2017年02月06日(月)
2017年02月05日(日)
受験期 [日記]
今日の一句
いつまでも続く受験期今年また 浮浪雀
採点業務
なんとか今期のものに一区切り付ける。
あとは自己保留の解決と総点検となる。
簿記いよいよ5番目の決算にかかる。
損益計算書と貸借対照表を書くことになる。
複式簿記とは、
毎日の金のやりとり(folllow)を
自分の財産(stock)に反映させる仕組みと思えばいい。
そのために勘定科目というのがある。
そのジャンルは
費用・利益/収益という金の出し入れが
資産/負債・純資産(資本)にどう反映するか
を見ることにある。
これを期間(会計年度)をきめて集約する記帳方法である。
この大枠がわかっていれば、あとは個々の勘定科目をそれに当てはめればいい。
現金出納帳は、毎日の金の出し入れだけを記入している。
これは、収益と費用を書いてその差額(残高)が資産になる、という考え方である。
それだけで事が済まないのは、ここに資本という思想が存在するからである。
つまりこの複式簿記は資本家のためのものなのだ。
(銀行という金融資本からこの記帳法が始まったという)
私のようなルンペンプロレタリアートが理解しづらいのも当然と言わなければならない。商業高校には、この労働者階級の子弟が入学し簿記を覚えて金融末端労働者となって搾取の先兵となり搾取する側に回るという皮肉なめぐりあわせになっている。
革命は遠い。
義兄が世界遺産島に帰る。
そもそも老々介護にやってきた義兄であるが、
結局のところ限界を感じて予定より前の船便で帰島することになった。
ここに家族介護の問題点が含まれているので、紹介しよう。
私の妻である末娘の思惑では、
母親の介護の負担は義兄半分、自分半分の予定だった。
ところが、義兄は正解遺産のレジェンドたる母親の介護が思うようにいかず、
義兄の食事、洗濯まで末娘が引き受けることになった。
話が違う!と始めは言っていたが、うまく意思が伝わらなかった、とその印象は変わった。
まず介護であるが、義兄は母親を心配するあげく、
常に母親についてその行動にいちいち補助しないといけないと思い込んである。
さらに自分の体が不如意なのでそれが充分にできないばかりか、母親の行動を制限している、と末娘が言うのである。
まず始めに問題となったのが世界遺産の頻尿(意識)である。
夜中に繰り返し
「起こして下さい」と依頼する。
そしてトイレに行くのだが、その間に粗相して本人も挫折感をいだいてベッドに戻る。失禁パンツをはいているからそこにすればいいのだが、それは嫌なのだ。この意識は貴重である。大正生まれの気概を見る思いがする。
自分はおしめに漏らすようなことはしない、というまっとうな宣言だからだ。
しかしそれを体が裏切るのだ。
これが夜中に頻繁に起こる。
介護人義兄はこれにまいって、末娘の妹にそれを任せた。
末娘はこれを一週間やったあげく、疲労困憊のあげくインフルエンザになって一週間寝込んだ。
そこで、また義兄の登場となるが、義兄の介護は自分がおぼつかないだけでなく。母親を幼児扱いして(そのかけ声が末娘をいらだたせる。そうして赤ちゃん扱いするから、ますます歩かなくなり介護が必要となる悪循環を生むのだ)もめたりしている。
「はーい、そこあぶないよーこっち持とうねー」
「大丈夫だよ」
「だーい丈夫じゃないでチュよー」
「平気だよ」
大丈夫じゃないもの同士の戦いが始まる。
末娘はそれを見ているのがアホくさいというのである。
自分がそう言われたらどう思うんだろうね。
お兄さんとは合わない。いない方が私の労力が半分で済む、まったく!
ということで一便早く帰ることになった。
この義兄は「残念な人」である。
人当たりが優しく顔立ちもなかなかのハンサムである。
両親が大変大事に育てたので、悪意というものがない。
母親は90を過ぎても身の回りの世話を焼いていた。
お坊ちゃん育ちといっていい。
小学校の時は大変優秀で地元の中学に進んだが、そこでも学業は優れていた。
字も大変うまい。中3の担任が体育の教師だったので進学指導で失敗したと末娘が言う。学区からいえば、日比谷高校に充分合格できる力があったという。
ちなみに義兄の高校卒業年の東大合格者のランキングは以下の通りである。
1.日比谷169 2.戸山93 3.新宿83 3.西83 5.小石川63 と都立高校の全盛時代。私立御三家は 7.麻布51 9.開成47 12.灘27
まあ、島から追い出された庶民でもあるので、手に職をつける、との考えもあったのかも知れない。第一商業高校に進学。卒業して名門証券会社に勤めることになる。ここから先は日本経済の変遷にともない波乱の人生の幕開けとなるのであるが、個人情報の問題もあり省く。結婚したが離婚。
最後は自分の船を持つ漁師となった。まったく適性がないと思われるが、致し方ない。手先は器用でなく、身の回りのことは出来ない。漁師になって始めてメシの炊き方を覚えたという。
読書が好きでよく本を読んでいる。jazzなども良く聞いていたはずだ。だが、当然ガラパゴス携帯の操作は不得意でメールも満足に返ってこない。youtubeなどとは無縁の暮らしである。
心優しいだけで日常の暮らしの細々としたことは不得意。会社の経理は得意だったはずだが、日常生活の経理はお坊ちゃまである。母親に甘いものを買ってこようと、老舗の饅頭屋で大変高級な和菓子を買ってくる。それが末娘には許せない。その店のつい先にやすくてうまい店があるのだ。年金暮らしには見合わない出費である。
炊飯ジャーには保温のまま10数時間もご飯が入っている。行列店のパン屋を見つけると、クリームパンを6個も買い込みさらにフランスパンのバケットを2本買ってきた。(このうち1本は固くなって食べられなくなった。私が牛乳バターでフレンチトーストにして食べた)まあ、一時が万事この調子である。
電動自転車で転び右手を骨折、医者に行くのを面倒くさがって、ついに曲がったまま骨が癒着して右手が不自由になった。加湿器の水を替えるタンクの蓋が開けられない。不便でかわいそうだ。
離婚しなければ良かった、と言っているが、そこには当然、なんだ自分が楽したいだけなんだろ!という厳しいツッコミが待っている。東大でも入っていればもっと違った晩年があったかも知れない、残念なことだ、ということから「残念な人」ということになった。
さて世界遺産の問題は3つある。頻尿・足のむくみ・もう一つここ2,3日は「寒さ」を訴えている。なんだか寿命かな、と末娘は思ったという。
始めは施設にいると思ったのか
「起こしてください」と可憐な声を出していたが、人がいないと思うと苦労してベットから起き上がり、トイレに行こうとしている。少し離れたベッドに末娘のいるのがわかると「なんだお前いたのか」とすーと力なくまた横たわった、という。
もう笑っちゃうわよ。自分で起きれるじゃないか、ってツッコミどころ満載!
一昨日は、起きたところたまたま人がいなかったので
「もうこの世の終わりかと思った」と言っていたそうである。まあ寂しいとは思う。
そう言ってるわりには、ザラメのついたせんべ食べ散らかしているんだから!まったく。
「かわいそうでさー」と義兄
「自分は帰っちゃうんだろ!」とツッコミ。
「自分の思いだけなんだから!と近親者の批判は常に厳しい。
介護の行き着く先には2つの問題が待っている。
どこで死ぬか
その時だれがそばにいるか
である。
結局施設にいれても、それは職員さんがいるところで死ぬということである。
本人は逝ってしまえばいいが、回りが大変となる。
回りが大変でないように元気でうごけるうちに考えておかないと、と思う。
もっとも3年前最後の担任を持ったときの始めのHR就任挨拶(進路希望)が
「人に迷惑をかけずに死にたい」
だったので、これはずっとテーマだったかも。
こういうとき、宗教用語はなかなかいい。
帰天といい成仏といい、字面を見ても悪い感じはしない。
書きすぎた。
勉強しないと。
Posted at 21時27分 パーマリンク
2017年02月04日(土)
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