2015年02月07日(土)
紅梅 [日記]
今日の一句
なぜ梅に白と紅ある大和かな 浮浪雀
大人のための数学講習
その講師で下町まで行った。
全体では30名ほどの参加者があった。
それに担当講師が8人ほどある。
30人の中で何人かを担当する。
私が担当したのは3人。
なんだか派手なインディアンみたいな上着を着た
ファンキーなお年寄り。
五十代くらいの黒い牛のように押し黙った男性
40代のご婦人(数学をやろうというのだからインテリである)
ファンキー氏は自分でやるからいいです。
見ないでください、というので
遠巻きに見ていたら、ちゃんと手をあげて質問した。
言葉の定義や記号や基本的な約束事を聞かれた。
おそらく忘れていたのだろう。
少し指摘するとわかった、といって
夢中でやっていた。
黒牛さんは中学3年相当の問題をやっていた。
途中で手が止まる。そのまま固まる。
手元の計算を見ると、例えば文字式の展開の計算でつまっている。
それで声をかけて内容を説明する。
反応がないので、大丈夫かと思っていると
ちゃんと計算を進めている。
中学1年生のところを忘れていただけなのだ。
応用問題は時間をかけながらも自分でできていた。
49rπなどと書く。
正しくは49πrで文字の順序が違う。
数学では内容のはっきりした文字を先に書くという習慣がある。
いずれは積の形なので、値としては正しいが表記としては違うということになる。
分数で約分していない答えが✖️になるのと同じ理屈である。
アラフォー女子様は、中学1年相当の問題をやっていたが
易しすぎたようだ。
応用問題を中心にやってもらった。
処理時間も早く、実力十分である。
お話をうかがうと、
もっと数学に関する教養講座みたいな内容だと思っていた、
と言われる。
地元の区民大学講座と銘打って、そういう広報が行われているのであろう。
問題を自分で解くのだとは思っていませんでした、との感想である。
それでも休み時間を返上して問題に取り掛かっていたから
嫌ではなかったんだろうと思う。
江戸時代、算術は趣味の域に達していた。
算額という板を神社に奉納して、解法を競ったという。
俳句などの文芸、あるいは生花、踊り、浪曲、などの芸事と同じく
算術道を極めようと諸国行脚の強者もいたと聞く。
和算の大家関孝和は江戸幕府の勘定吟味役というから、会計監査院のような役職で立派な公務員である。民間では数学愛好家が算額を通してお互いの技を競っていた。民間の教育機関は寺子屋であるから、学びたいというものは一同に集まって、自学自習わからないところを師匠に聞きに行き、お手本をもとに学んで開いた。
この大人の数学講座は、現代の寺子屋、数学愛好家の算術道場になるのではないか、と思う。。
習い事の初心者というのは、自分のやっていることが習うこと全体の中でどんな位置にあるのかがわからない。それがわかれば自分にかけているところもわかり、努力の方向も定まる。そこへ行くまでが大変なのである。
数学はものを数えるところから始まって、数同士の計算、それからその計算が成り立つ数の拡張、と抽象的に進んでいって全体像ができている。始まりの数えるところはほとんどの人がクリアーするが、数える=順番ができる=1を足す→足し算、と進んで行く。たくさん足すことから掛け算がうまれる。足し算を逆にやったらどうなるか、足し算の結果から原因を推定するのが引き算、掛け算の逆が割り算となる。引き算から、マイナスの数、割り算から分数(割り切れない数)が出てくる。
こうして逆に考えるとどうなるか、というところがもともと無理なので、その結果考えられた数も当然無理のある計算となる。分数は小学3年生、負の数は中学1年生で扱うが、当然その意味はわからないので、やり方を覚えて答えを出して丸をもらって安心する、ということになる。ここが数学を進める時の分かれ道となっている。
てなことを考えながらお相手をしていた。
世話役の人は、一次関数の説明で
「60歳で年金をもらい始めるのが得か、65歳で年金をもらい始めるのが得か、それは一次関数の交点できまる」と持論を展開した。それによると、60歳から年金をもらったほうが得なのは、84歳まで生きた場合と出たそうである。「私も昨年孫が生まれて、よーし孫が二十歳になるまでがんばるぞ、と思いました」とネタをふっていた。
私と似たようなもんだ。
例会少々
Posted at 08時18分
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