2022年04月03日(日)
種物屋 [日記]
今日の一句
種物屋ゲノム扱う未来人 浮浪雀
冷たい雨の降る2月の気温の日。
日曜日の朝は記憶のルーティンワークなし。
動画に入れる資料を探しに別邸の押入れを開ける。
資料としてZ会旬報の成績ランキング欄が見たかった。
頭の中にあるのだが、それを実物として確認したい。
しかし以前に捨ててしまった気がする。
54年前のものだ。
いつか処分しようと、ここまで現在に持ち込んだ過去の遺物を開いてみると
当初の目的はとっくに忘れて目の前に繰り広げられるブツと頭の中との照合作業が始まる。確かにこれはあった。今まで全く忘れていたが、目の前に現れるとすぐに思い出せるものがある。
かと思うと、まったく記憶にないこともある。名前を見ても誰だかまったくわからない。他人の遺品を見ているようなものもある。これら遺品を十ぱ一絡げに断捨離して捨ててしまうのがいいだろうと思うが、まだこの世に未練があって開いたままボーゼンとする。
年賀状をはじめとする他人からきた手紙類が大変多い。5円切手の貼ってあるハガキなど。女子生徒からもらった手紙でその名前は確かに覚えているがなんの手紙だかわからない。恐る恐る開けて読んでみる。
それは定時制高校の教員になって1年目のものだから、42年前のものだ。彼女は確か准看護婦をやっていた、九州から上京して病院の寮に入っていた人だ。19歳最後の夜になんとなく内省的になって越し方現在を振り返って独白している。10代最後の夜に私は一体何をしているんだろう。明日からは二十歳の成人だ。そんな独り言のような手紙である。
彼女からは卒業の時に記念に黄色いざっくり編んだ長いマフラーをもらった。それは大きめの紙袋に入っていてオーデコロンが振りかけてあった。まだ娘が誕生する前の新婚1年目の時だった。
その手紙をもらったのが卒業前の在校生の時だったか、卒業した後のことだかはっきりしない。切手を貼って私の自宅に送ってきたから、卒業した後かもしれない。
そういうものが段ボール箱に詰め込んである。それが私信類である。このグループがひとつ。合格通知書とか受験票とか手紙と言っても公的なものもある。学生手帳とか大学の発行した生活の栞とか予備校の成績表とか、そういった印刷物が別のグループとなる。
さらに冊子や印刷物やテキスト類がある。ネットを調べるとこの手のものを欲しがる人がいて、私の探しているものには万を超える値段がオークションでついたりしている。画像があれば、それを流用させて貰えば目的は果たせる。実際そうしたものもある。
さらに印刷物がもう少し公的な性格を帯びると冊子や雑誌のような本となる。そうしたものも雑然と放り込まれている。次に8mmフィルムやカセットテープやLPレコードといった記憶媒体もある。それから写真類。手帳日記類。これら情報媒体とすれば70年に及ぶ雑多な記録媒体が箱に入っている。
それ以外に、工具や電気部品関係が結構ある。これはまた別のジャンルの品物である。すぐには使わないけど、あるといつか使う。と言ったもので実際この前アイホンを交換する時に見つからなかった銅線などが今日見つかった(もう遅い)。
最後に今現在使っている品物も当然ながらある。
これらを仕分けしてまたもとの押し入れに収めなければならない。花冷えの冷たい雨がふる今日のような日にはもってこいの作業である。
結局外出せずに、手紙など読み耽って夕方となりそのままにして本宅に戻りフロメシ轟沈、夜中に起きるのルーティンに突入した。
Posted at 01時06分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
トラックバック
トラックバックURL
http://blog.pahko.jp/tb.php?ID=6753