2010年02月11日(木)
春 [日記]
今日の一句
春はあけぼの光るだけでは能がない 浮浪雀
昨夜は風邪薬ルル3錠飲んで寝た。
インフルならば免疫が効いてくるまで直らない。
朝起きたら復活していた。
なんのことはない。
小物くんだったようだ。
せっかくの休みなので
パソコンもつけずTVも見ずに
ナウシカDVDを見た。
アバターより話はうまく出来ている。
終わり方があっさりで
なんだか肩透かしを受けた気がする。
2枚目のメイキングなども全部見た。
アニメのメイキングって
絵コンテを始めから最後までうつすんだ。
それに本編の音声をつけてやるから
これはこれで別の作品と言える。
大島渚が忍者武芸帳を撮った時と同じである。
もちろんこちらの方がずっと完成度は高い。
これはさすがに始めの10分ほど見て
早送りした。
それ以外に、ジブリ発足の話、とか予告編とか
その他色々入っていた。
「風の谷のナウシカ」は1984年公開作品。娘はまだ3歳になったばかりだった。妻はバイトもやめて育児に専念していた。それで外出も思うにまかせず、映画も見に行けなかった。私は定時制高校の教員をしていて、昼間は東大生だった。家には寝に帰るだけで、たまの日曜日はクラブ活動の引率などで家族で何かする事はほとんどなかった。アニメ好きの妻は当然アニメージュで連載されていたナウシカのことは知っていて、その劇場映画を見たがっていた。それで娘を連れて3人で渋谷の東急に見に行った。もちろん娘は始めて映画館で映画を見るのである。場内が暗くなって音がなりだすと娘はぐずり始めた。音に敏感だった娘は大きな音が苦手だった。ナウシカが「腐海遊び」をして王蟲のぬけがらを見つけるシーンで、娘はついに泣き出した。映画が始まって10分もたっていなかった。私は娘を抱えて外に出ると、ロビーを抜けそのまま劇場の外へ出た。映画が終わるまでそこいらを歩き回り、土地勘のある都立大学駅まで行き、商店街を肩車をしてさまよったりした。
それから、1/4世紀過ぎた。映画を見たプラネタリウムのあった東急のビルは壊された。都立大学は既になく、多摩南大沢の方に移転して、今では首都大学東京となってしまった。三鷹に出来たジブリ美術館の職員となった妻はやめるとき、ナウシカのまんが版を全巻記念にもらってきた。私は還暦を過ぎても多忙なままで風邪でも引かなければDVDを見る暇もない暮らしぶりである。ナウシカの始めしか見られなかった娘はアニメのDVDを作る側に回っている。
「おお、大気から怒りが消えた・・・」
♪ランララ、ランランラン・・・
「奇跡じゃ、奇跡じゃ。なんといういたわりと友愛じゃ」
「王蟲がこころを開いておる。おお、子どもたちよ、ワシの盲しいた目の代わりに見ておくれ。」
「姫ねえさま、真っ青な異国の服を着ているの。まるで金色の草原を歩いているみたい。」
「おお・・・
そのもの青き衣をまといて、金色の野に降り立つべし」
「おお、」
「ばばさま!」
「古き言い伝えはまことであった。」
「あっ見て」
「風だ!風が戻って来た!」
というわけで楽しい休日でした。
あとはごろごろ寝て夕方少し買い物に出た。
Posted at 21時07分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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