2014年04月12日(土)
蘖(ひこばえ) [日記]
今日の一句
蘖や友だち百人できるかな 浮浪雀
週一のキャンパス通い2週め
先週はオリエンテーションキャンプで校内の人はまばらだったが
今週はほどほどににぎわっていた。
第三の新人の小説を読む。
永井龍男の「一個」同様、ここ数年気になっていた。
長編なので半分ほど読んで次回に取っておくことにした.
地元の図書館に行くと、私同様の老人力で混み合っているが,
ここはさすがにがらがらである。
万を越える蔵書が見放題の豪華な書斎を入手したも同様。
まことに悦楽至極である。
今日読んだ作品の中に次のようなところがある。
主人公は作家
取材のためか、新聞社の人間に連れられて
新聞の製作工場を見学するところがある。
ガラス越しに新聞の束を運搬する労働者がいる。
そこでこう言われる
「ああいうことができますか」
どうも新聞社の男は作家を良く思っていないらしい。
この作家は大変女性にもてるという評判のやさ男で、私小説作家と称されている。
作家はただちに思う。
「それなら君は一日中机に向かってものを書くなんてことができるのか」
40年以上前にこの部分を読んで、作家のこの覚悟に秘かに感動した覚えがある。
私がこの部分を読んだのは、週刊誌によくあるようなエッセーの中だと思っていた。しかしそれはニセの記憶だった。実際は谷崎潤一郎賞を受けた長編小説の中のエピソードの一つだった。
こういうとき自分というものがぐらつく。自分を足下を支えている小さな小石が取り外されたような感覚をおぼえる。自分とは記憶の束である、とは受験英語でおぼえた単文だが,この束が実はこういうニセの繊維が寄り集まって出来ているのでは、と思われるのだ。
That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind
そういう衝撃である。
てなことを楽しみながら、空腹を感じると外へ出て、そばの生協食堂。
玄米カレーがある2階は新入生のオリエンテーションと管弦楽の部活の入部イベントで貸し切り。1階でカツ玉丼410円を食べた。米飯の上にトンカツをのせ炒り卵をかけた丼ものだが、カツ丼ではない。多分簡便に作れるからだと思う。学生食堂ならではのメニューと思われる.当然安い。
それから校内散策。喫煙所の様子を見る.大学の格は喫煙所をどう設定しているかでわかる。被抑圧人民の生活程度でその国力がはかれるのと同じ道理である.ここはオープンスペースに飾り気のない吸い殻用の空き缶と角柱の灰皿、そして耐水性のベンチがいくつかあるだけだった。開放的でいいんじゃないか。
親や家族を連れて校内を案内している新入生を見かける。いろいろツッコミを入れたい気がするが、まあやめておこう。
17462歩
ネットから
“私たちは旅先で思う。見知らぬ、興味深い土地にいるからこそ自分はいま幸せな気分なのだ、と。そうではない。私たちが幸せを感じるのは、自分は今見知らぬ、興味深い場所にいるんだという思い込みが、私たちに知覚という槍を普段の二倍の力で投げさせるからである。
トムが楽しげに塀のペンキ塗りをすることによって、友だちをペンキ塗りに誘い込むとき、トムは彼らをだましているわけではない。友だちは事実ペンキ塗りを楽しんでいるのだ――塀のペンキ塗りはつまらない行為だという思い込みはもはや捨て、自分の情熱をすべてペンキ塗りに注ぎ込んでいるからである。
退屈だ、嫌だ、と私たちが思い込んでいるものが人生には多々ある。だが実はそういうものも、私たちが金を払って手に入れているもの以上に退屈でも不快でもない。すべては私たちの態度によって決まるのだ。退屈な人生やわくわくする人生があるわけではない。私たちが退屈したりわくわくしたりしているだけだ。」 (『超読書体験』から)”
いやまあそのとおりだけど、大きな発見をしたみたいに強調されると、それもちょと違うんじゃないか、と思う。
Posted at 04時21分
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