2012年10月02日(火)
野菊 [日記]
今日の一句
いまさらに野菊探しに繁華街 浮浪雀
始業日
後期の始まり
全体集会
体育祭練習
案件対応
職員会議
諸連絡打ち合わせ
撤収1820
少し早く帰宅しても
フロメシネルの3セットは健在なので
9時前にはもう寝ている、ということになる。
すると夜中の3時には起きる。
これ老人の常識。
睡眠の1クールは90分なので
4時半に2度寝して6時に起きるか
2度寝なしにそのまま昼の世界になだれ込むか
いずれにせよ帰宅時には轟沈が待っている。
このサイクルを日常として気がつくともう10年あまり
大丈夫かね晩年
なんとか辻褄合わせて行くしかない。
記憶のモザイク化も定着している。
たとえば駐輪場の場所。
私の使っている駐輪場は地下に自転車の保管場所がある。
地上にはいくつかゲートがあって、
朝入れたゲートからしか出せない。
夕方自転車を出そうとして、朝入れたゲートが思い出せない。
もっともよく使うゲートは3つしかないので、
そのうちのどれかにカードを入れる。
間違っていれば表示が出る。
それで自転車を出すのには困らない。
自転車を入れたときの記憶は割と鮮明にある.
持っていた荷物を取り出したときの様子とか
高齢者事業団の管理のおじさんが誰だったか
そんなことは位置関係まで覚えている。
ただそれが今日の事だったか以前のことだったかが
わからない。
これが記憶のモザイク化である。
以前読んだ本によると、
記憶には長期記憶(エピソード記憶)と
短期記憶がある。
人格は記憶の束だから
短期記憶を長期記憶に結びつける様式が
その人の人格ということになる。
試験前の一夜漬けの記憶を短期記憶とすると
それが有機的に結合されてその人らしさを保証することになる。
それら蛸壺化された記憶を結びつけ構成して「私」が機能する。
パソコンの比喩を使うと、ハードディスクに入っている各セクターの情報を、どう秩序立てて構成し入出力するか、というのが人格となる。
つまり人格とはOSということになる。
パソコンは脳の機能をもとに再構成されたツールなので
こういう逆の比喩はけっこう使える.
今日のことにもどると
1日の朝と夕方を結ぶ記憶のリンクが切れている。
記憶は断片化してそれぞれの小さな入れ物に入っている。
その入れ物を関連つける働きが弱くなっている、ということだ。
だから、朝自転車で来ていないにもかかわらず、
夕方自転車置き場まで行って、カードを差し込み
どのゲートにも自転車がない、ということが判明して
呆然として、あっそうか今日は自転車で来なかった、
と思い出す(というよりは判断する)ということになる。
こんなことが年に2、3度ある.
年維2、3度だからまだいいが、これが月に2、3度
週に・・・となってくると、
さっき食べた食事のことを忘れている、という事態が生じる、
のは容易に想像できる。
そこでこまめに日程表を付け
こうしたブログもつけて、記憶を管理しておかないと
社会生活を円滑に進めることができなくなる。
まあ、社会生活をやめていきなさい、ってことなんだろうと思う.
そんなことを書いていると、もう5時近くなった。
きょうは2度寝をあきらめ、このまま昼の仕事の世界へ突入だな.
Posted at 04時05分
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