2014年08月13日(水)
茗荷 [日記]
今日の一句
これも持って行きなよ茗荷もらって忘れた 浮浪雀
夏休み3日目
今日は娘一家がやって来た。
月曜日の逆で今度はこっちが実家である.
近所の深大寺でそばドッグランをこなして
撤収
私は休みでなければ行けないA例会
普段は仕事があって出られなかった。
今日はちゃんと畳みベッドで寝た。
ネットから
“英語にアサートティブネス(assertiveness)という言葉がある。自己主張性としか訳しようがなく、それだけで、日本語ではすでにネガティブなニュアンスがあるのだが、英語では決してそうではない。これは「相手の視点を考慮したうえで、自分の意見をいかに効果的に相手に伝達し理解してもらい、自分の当初の目的を達成するか」という心構えと技術のことである。
これはマーケティングや営業の基本でもあるだろう。あるいは異性に働きかけるときの基本でもあるかもしれない。要するに、よいコミュニケーションそのものである。
日本人は残念ながら、このアサーティブネスを学ぶ機会が大人になるまであまりないのではないだろうか。日本では、自分の意見をはっきり主張して、その結果達した合意に従う、という文化があまりない。意見の一致を求められる状況では、通常、相手の顔色を探りながら、なんとなく落としどころを探す。そうやって空気が決定した事項に対して、声高に「なぜか」と問いかけるのは一種のタブーになっている(授業中、学生は先生に質問しない。社会人になって、会議をやっても、みんな活発に発言しないしね)。
日本人はそうやって普段、自己主張をせず、おとなしく空気の決定事項にしたがっているのだが、それはやはり一種のストレスの源である。そして、そのタガが外れると突然攻撃的になってしまうのだ。感情が外にほとばしり出て、コントロールが効かなくなってしまう。いわゆる「切れた」状態になってしまうのだ。
日本人はアサーティブネスと攻撃性(aggressiveness)の区別が付かないのだろう。そのため、日本人が口を開いて、正直に語り始めると、すぐ2ちゃんねるのような言説になってしまう(私のブログのコメントにもそういう発言がけっこう多い)。
日本人は自分の意見を効果的に相手に伝え、自分の意図することを相手に理解してもらう練習をもっとすべきだ。せっかく、自分の意見を持っているのだから、相手がそれを理解し、自分の利益になる形で相手が行動を変えてくれたほうがいいではないか。
そのためにはまずは相手の立場に立って考えることが必要だ。回りくどい挨拶は必要ないが、最低限の礼儀は守ること。たとえ怒っていたとしても、その怒りが本当に議論の主題から来たものか、それとも、自分の生活の鬱憤から来たものか、口を開く前に冷静に考えてみること。モニターの前で悪態をつくのはいい。しかし、その場の議論に貢献できないのなら、発言を控えたほうがいい。まっとうな反対意見と単なる鬱憤晴らしは簡単に区別が付くものだ。
池田氏が言うとおり、Twitter ではすべての発言が、匿名掲示板ではなく自分自身に帰属するので、無軌道な発言に対する一定の歯止めにはなる。そのため、アサーティブネスを促進するツールになりうるだろう。日本人たちよ、もっと大人になろう。そして、もっと自由で創造的な言説を日本語圏のインターネット上に満ち溢れさせようではないか。”
よくある議論だが、この文脈では「自分」とは何かを
語っておかないと生産性はない。
ばらばらに別れた原子のような「自分」が
それぞれの特性を主張して行く事によって
ただしい話し合いが行われる、というのがこの文の主旨だと思う.
しかし、原子が結合して化合物の状態でそれぞれの働きをしているのが
「日本人の自分」である。西欧人の自分もいくぶんかはそうだろう.
このとき、この原子間の結びつきを「コミュニケーション」と呼ぶと
原子相互の結合力がモミュニケーション力である。
化合物内の原子間の結合には3種類ある。
強い順から共有結合、イオン結合、ファンデルワールス力である.
人間のコミュニケーションの質にも3つぐらい合って
それぞれについて「アサーティヴ」かどうか、分類が必要だと思う。
Posted at 07時03分
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