2020年03月12日(木)
春の峠 [日記]
今日の一句
黒い犬春の峠で分かれ道 浮浪雀
450ごろ起きる。
やすらぎの刻を3つばかりみて、
どうもよくわからなかったので、
祈りの幕が降りるとき
の登場人物の関係を調べて、もう一度あれこれ見直した。
48時間300円なので、VHSビデオレンタル並みの値段だね。
自閉症の診断に使われる「心の理論」というのがある。
theory of mind の訳語で心の理論などと大上段に振りかぶっているから
心に関することを全て扱うのかと思うとそうではない。
ほかの人が物事をどうみているかを推測できる能力のことを指す。
男の子と女の子がいる絵を見せる。
男の子が箱の中にバナナを入れて、部屋の外へ出る。
女の子が箱の中からバナナを取り出し、りんごを入れて部屋の外へ出る。
男の子が部屋に入ってくる。
ここで質問1「箱の中には何が入っているでしょう」「りんご」
質問2「男の子は箱の中に何が入っていると思うでしょう」
「バナナ」と答えれば、解答者には「心の理論」があり、絵の中の他人のこころを推測できる。ところがこの質問2に「りんご」と答える子がいる。この子は「心の理論」がない。自分の見ている事実しか見えない。他人が物事をどうみているかわからない自閉症児の特徴である、とまあそんな文脈。
ところで推理小説や映画は、このあたかもそうである世界を扱っている。推理小説の登場人物は事実とは違うことを考えている。その思い違いが小説内の別の事実によって覆り、別のテーマが立ち現れてくるところに面白さがあるようなのである。
祈りの幕が降りるとき、では主人公は阿部寛という役者が刑事をやっている。そしてその刑事が映画の中でいろいろなことを考える。その阿部寛がやっている刑事がどう考えているか、ということが推測できないとこの物語は面白くない。
ところが私は役名を覚えることができない。登場人物はまず役者名。次にその役そのものが物語の中でその役その通りに生きていないと納得できない。この役はそんなんことを考えるだろうか、そんなことするだろうか、ということが納得できないと困る。実際のドラマでは、こういう時はこういうもんだ、という前提のもとで話が進んでいくようなのだ。
といったことを考えてあれこれ調べた。自分はこの「心の理論」が弱いのでないか。
大変天気がいいので、ジブリ裏に花見。ついでにDQウォーク。今日からまた新しいイベントが始まった。COCOSでランチ。
帰宅後、影武者(1980黒澤明)を見た。カンヌ・パルムドールだそうだが、★3つ。
明日は卒業式に行くので早く寝る。
Posted at 22時30分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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