2014年11月12日(水)
錦秋 [日記]
今日の一句
放課後の教室に充つ錦秋 浮浪雀
非常勤管理職シニマネの日常業務はいろいろある。
今日は仕事の日。
勤務は午後からなので、午前中をどう過ごすかが課題となる。
生涯現役、迷惑をかけない行き倒れを目指す奴隷退職教員の私に
勤務外が果たすべき課題なのは当然である。
分類法は3つ。
A. しなくてはならないこと
B.しなくてもいいこと
C.その他
ゴミ捨ての分類と同じである。
家事万端はAに含まれる。
これも3つに分類する。
フロ・メシ・ネルに代表される3分類である。
フロの前に衣類を脱ぐ、この処理が洗濯。
メシを食べるとゴミが出る。この処理がゴミ捨て。
ネルところは汚れていない方がいい。掃除ですね。
その他の日常生活の家事万端はこの3分類に集約される。
その詳細を語っておきたいが、
このブログを書くことは、
勤務外課題の3分類では
A.家事万端
B,個人的趣味
C.その他
の2番目のBに当たる。
ここで優先順位をつければ、包含関係を検討するまでもなく
ブログを書く(個人的趣味)<家事万端となるので、
今回はここで中断しておく。
洗濯終了の音楽が鳴った。
冬の曇り空の中出勤
書類処理
同僚パソコン設定
講師先生の教材準備
ゾンビお勉強
ゾンビ肩車夜回り
ゾンビもの隠し
ゾンビ片付け
来年度の準備の打ち合わせ。
定時撤収
20周年記念
サラリーマン金太郎ラーメンなるものを食べたが
どこに本宮ひろ志がいるんだ、単なる魚醤ラーメンじゃないか、怒!の出来。名称を評価外とすれば★3つ。
結婚式のスピーチを頼まれる。
「もう言いたいこと言ってください。徹子の部屋のノリで司会のK
がたまたま居合わせた、かっての演劇部の顧問にお話ししてもらう、ということでやります」新郎ご本人直々の依頼。
言いたいことを言っていいとは上等である。止められてもそうする。
電話かわります、と言ってK君が出る。「そんなわけで、よろしく」このK君は昨年ご結婚された。その時、今度は新郎となるMが企画したばちゅらあぱあてぃでの乱痴気騒ぎはとてもここに書けない。心情あふるる軽薄さ、と褒めておく。Kが披露宴の司会をするのはその恩返しであろう。ネタ用意しておきます、と承諾ついでに「twitter面白い」と日頃のK君の秀逸な投稿に関する感想を述べておく。「あ、変わります」といって次に 朴訥真面目なHが出た。なんでも彼女ができたので、祝福してやってください、とのことである。「37にしてやっとできました」H君の良さを理解しない最近のご婦人たちは自分をよく省みる必要がある。傲慢と偏見、唾棄すべきご自分の男性観を見直すといい!と怒りついでに「やることはちゃんとやりなさい」と老婆心ながらつけ加えると、電話口の向こうで(おいおい、やれってさ)とわいわいやっている。すぐに下ネタになだれ込むのもお互い許しあっているからであろう。卒業後10年以上が経つというのに相変わらず集まって盛り上がっているのだ。羨ましい限りである。
ところで、
錦織、フェデラーに敗れる、のタイトルの下にショットを決める写真があり、その下にサブタイトルとして、「速いチンポ 余裕をなくす」とある。私は目を疑った。慰安婦報道問題で揺れているとはいえ、天下の朝日新聞である。もういちどよく見ると「速いテンポ、余裕をなくす」であった。目が見えないので、勝手に脳内変換されるのだ。下ネタで失礼したが、私は久しぶりに声をあげて自分の愚かさを嗤った。
楽しきかなボケ老人。
安楽椅子でNHKニュースをみたまま轟沈
気がつくと画面では四国八十八箇所の霊場巡りをやっていた。
南無〜
今日の引用
" そうし
て、ふわふわして諸方歩いてい
る。田端だの、道灌山だの、染井
の墓地だの、巣鴨の監獄だの、護
国寺だの、ーー三四郎は新井の薬
師までも行った。新井の薬師の帰
りに、大久保へ出て野々宮君の家
へ廻ろうと思ったら、落合の火葬
場の辺で途を間違えて、高田へ出
たので、"
ー三四郎 四の一
*これらの場所はみな私の少年時代に親しんだ場所である。
道灌山とは『東京都荒川区西日暮里四丁目にある高台である。上野、鶯谷、田端、王子へ連なる台地の一際狭く少し高い場所にある』とある通り京浜東北線の王子から西日暮里に至る路線の山側にあたる。この路線を通って大学6年間通学した。染井の墓地にもよく行った。駒込と巣鴨の間にある。王子にあった福寿荘には高1から大学6年目までの12年間住んだ.
巣鴨の監獄は太平洋戦争の戦犯が入れられた拘置所で浪人時代にはここが整地されて池袋サンシャインシティになった。そこにある専門学校に現在スクーリングに通う。娘のオフィスはサンシャインビルにある。護国寺はかって勤務したY校から歩いて時たま行った。新井の薬師では眼病のお守りをもらった。落合の火葬場はhekominn氏のご尊父の葬儀があったところである。Y校職場の同僚のご家族の葬儀もここでやった。
結局残っているのは、生き死に関係しているところだね、と思った。それにしても明治は近い。漱石への親近感はこんなところにある。
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