ぱーこシティ

2021年09月18日(土)

ぐみ [日記]

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今日の一句
秋グミチヨコレートパインお葬式 浮浪雀

昨晩夜中に英訳やって
朝は遅く起きる。特にTVはニュースのみ。
特別な番組はない。

斎場は毛呂。
三鷹ー立川ー拝島ー高麗川ー毛呂
と10時前に出て、11時38分に着く。

参列者は12名。
喪主は仏の長男(54)、この夫婦。
その弟(50)夫妻。大2(19)高2(16)の子どもが2人で4人。
長男の嫁さんのご両親2名。
こちらは3番目の姉(80)兄(75)
そして私が72。最後に仏の嫁さん(つまりは私の姉86)

やはり最強は私の兄だった。来る電車の中で傘を忘れそうになり、
メモリアルホールで降りたときは財布をタクシーに忘れた。
これは斎場の担当者が電話して呼び戻した。後部座席の下に落ちていた。
「お金を払って安心した」とのことだった。

兄は財布が戻ってくると安心して一服つけて、マスクを外してそのまま斎場に入って来て、斎場のスタッフに注意されていた。自分に悪意がないからすぐにつけるが、マスクがうるさいのが嫌らしくすぐに外してしまう。子どもかよ。

さて仏の妻は認知症で夫が先に死別したわけであるが、そのことが分かっているかどうか。まだ元気らしく、施設の人が車椅子にのせて連れてきた。写真の前列左側の人がそうである。その隣に兄がいる。つまりこちら側は喪主の母親の兄弟の場所なのだ。

曹洞宗の坊さんは能書きと説教をいろいろたれていたが、ようするに亡くなった人はこれから仏の弟子になって修行に入る。その時の名前が戒名である。皓月昌降信士。秋になくなった皓月、昌は仏のこちらの世界での尾名前から1字取って、それが降ると言うわけだ。曹洞宗では信士がつく。なんだかなんの工夫もない戒名だ。

説教の後で坊さんが読経に入ったところで親戚縁者の方からご焼香に入る。喪主から始まって仏の家族そして仏の嫁さんの兄弟の番になった。兄は焼香を終えて帰ってくる時、車椅子の姉の前にしゃがんで「K治だけどわかる?」と言った。

そもそも始めに車椅子が入ってきたときはすでに坊さんの読経は始まっていた。だからおくれて自分の隣に入ってきたこの人は何者だろう?と兄はガン見していた。姉はずいぶんと小さくなって頭も総白髪にはなっていた。最後に電話で話したのはいつだったろう。→2013年12月4日

そうだもう8年近く前になる。私は姉の後ろにいたので、表情が見えない。この姉はもう自分でお焼香ができなかった。毛布から手も出さないである。斎場のスタッフが代わりに焼香していた。その後に兄がして、自分の席に帰るところで暴挙にでたのだ。

すると姉はこれまた大きな声で「そうかもしれないと思ってた!」と言ったのだ。坊さんの読経よりもよく通る声で場違いにもはっきりと言った。こんどはさすがの兄も驚いて手で姉を制した。すると姉はまた小さく固まった状態に戻ってしまった。

本当にわかったかどうかわからない。でも意味の通じる応答をしていた。と兄は言った。しかし葬儀の始まる前に喪主の弟さんに、私がお母さんは?と言葉を濁して聞くと少しだまって「車椅子で来ます。きびしい」といったのだ。この言葉通り姉は20分もいないで、施設の人が連れて行った。私は最後まで顔を見られなかった。

私がやる気になったのは間違っていなかった。その他にも色々あった。御通夜もなく
本葬儀と初七日を一緒に済ませてもう告別式である。死装束を着せたり、花を投げ込んだり一通りのことはした。

ご遺体にふれて色々手伝った。ご遺体の肌はなめらかですべすべしていたが、キンキンに冷たかった。亡くなったのが15日だから3日間ドライアイスで冷やしたのであろう。

死化粧を施したお顔は思いのほか若く,参列者もそう言っていた。死因は肺炎で、8月末に発病し2週間で退院する予定がそのまま帰らぬ人となったのだ。もっとも88歳の年を聞けば仕方ないと思わざるを得ない。

メモリアルホールから焼き場にタクシーで行った。兄が財布を忘れたタクシーである。この車しかないのかも知れない。運転手は段取りが悪い、と葬儀社に文句言っていた。自分の車を止めるところが用意していなかったのである。兄は相変わらず相手のことはお構いなしで自分の思いついたことをまくし立てていた。

降りるとき兄が支払うことになった。3500円取られたといっていた。まあどうでもいいんだけど、高いんじゃないか。メモリアルホールは毛呂の近くだが焼き場は越生火葬場であった。線路の反対側でけっこう距離はあった。帰りは越生駅にいったが、1600円だった。これは姉が払った。

妻からメール。机の上に財布がある!
そうだった。出かけにいくらあるか確かめてそのまま忘れたのだ。おとといipad忘れたのと同じだ。この兄にしてこの弟ありだ。兄は私を紹介するのに、シュウジは貧乏でそだって東大まで行ったが、がらっぱちだ!と言う。嬉しそうである。

12時から旅立ちの支度をして葬儀は13時から丁度1時間。それから火葬場へついたのが14時半頃.それから焼く。その間に会食(15時から50分ほど)があった。2階の部屋でいつも通り、それでも席は互い違いになっていたが、ビールまで出た。

うどん、にぎり寿司、てんぷら、和え物、デザートメロンに茶碗蒸しという定番セットである。兄は食事でマスクをはずしたまま合い相変わらずいいたい放題だった。
そうだ、兄は礼服を着てその腰の周りにウエイストバックを巻いていた。そして妙につるんとした黒い水泳帽のようなものをかぶっていた。

食事が終わるころ焼き上がり、御骨拾いをして一連の葬儀は終了になった。1610。
そこからタクシーに乗り越生ー坂戸ー川越で別れてー朝霞台・北朝霞ー西国分寺ー三鷹と帰って着た。帰宅1820,ほぼgoogleの経路検索通りだった。

越生からは車内に誰も乗っていなくて我が兄弟で貸し切りのようだった。兄は相変わらず片耳からマスクのひもをたらしたまま、まくし立てていた。話すときなんだかなれなれしく、私の体に触れるのである。方肘を掴んだりする。ここまでやるか。まったく無自覚らしい。他の乗客が乗ってきたのでマスクというとおっとそうだった、と直すので、悪意はない。しかし無自覚の善意というのもなかなかやっかいな代物である。

巡業公演まとめ、イシマ製作所受注品の作成、約束済みの例会とあれこれ用事はあるのだった。

Posted at 21時29分   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

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