2014年07月19日(土)
暑さ [日記]
今日の一句
道端にゾンビ昼寝の暑さかな 浮浪雀
以前土曜日は仕事なので,断っていたが
非常勤業務となって、今回は担当できた
さんすうの講師の先生。
それもベテラン(ということになっている)なので
研修の講師の先生を助言する立場である。
3時間ほどの講習
教材は全て予習した
間違えそうなところもシュミレーションした。
実際にどんな生徒が来るかだけは
いってみないとわからない。
いわば他流試合の趣がある。
現場ってのはいつも他流試合だよ.
3時間ほどの講習で
若干の講師料をもらた。
あまりもらうと年金を引かれるので中止しないといけない。
ま、ひかれてもいいけど。
で、この指導講師だが、私としては中身は変わらないので
そういう役割をすることになる。
相手も、これはどうするんですか、などと聞いてくる。
そこでいかにも知った風な事を言いそうになる。
その時の言い方が、いかにもその立場の人がいいそうなものになる。
「子どもはまず講師を見ますので,自信を持って答えるのがいいんです」
いかにも、子どもの事は知っている、という口ぶりである。
相手もそう思うから、それが都市伝説のように広まる。
これを役割言語というそうだ。
マスコミは大体これで成り立っている。
というよりは作っている、と言うべきか.
そうじゃのうばあさんや
はいはい
ってのがそれである.
実際は違っている、というか
私の現実は違っている。
人間の数だけ
それぞれ現実はあることになる。
そこに固有の表現がうまれる。
ただ、役割言語を使った方が話が通り易い。
共通の概念を使っているからだ。
しかし現実は違っている。
そこで両者のバランスをほどよく取る事が肝要である。
浅草例会
驟雨を逃れて
帰宅は1日ぶりに自転車だった。
ネットから
“あの頃は良かったよ。あたしがステージに出ると客はみんな驚いた顔をするのさ。それからニヤニヤ笑う大人や指をさす子供もいた。こっちをカタワ女って馬鹿にしてんのさ。あたしがそれに構わず踊ってみせると、途端に拍手喝采でおひねりが飛び交うんだ。それがおかしくって昔は毎日げらげら笑って、仲間たちとも上手くやってたよ。なによりあたしは自分で食い扶持を稼いで、そんな自分に誇りを持って生きてられたんだ。それが今じゃどうだい。法律なんてものが出来て奇形の見世物が禁じられて、あたしらみたいなまともな仕事が出来ない人間は、毎日やることもなく、ただ他人のお情けで金を貰って生きていくしかないのさ。それなのにあいかわらずこっちをニヤニヤ見るやつらは減りゃしない。
―――元サーカス団員・カーラ=ルミントンへのインタビューより”
コンプライアンスは結局その理念が実現できる生活をしているものの為にある。
Posted at 08時38分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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