2014年07月21日(月)
百日紅(さるすべり) [日記]
今日の一句
百日紅名門第一中学校 浮浪雀
花子とアン
途中から見たので、それ以前をオンデマンドで見るかと思っていたら
総集編をやってくれた。
石炭王いいわあ。
その次が宇田川先生
キャラ立ちですね。
黒田華先生の田舎時代はんぱない
脚本がよく出来てるねえ。
毎日終わりに翌日の前振りのネタもってくるのは
まあ、仕方ないけどうざい。
役者がいろいろいいよね
ナレーションの妖怪ぶり聞きどころ
画面がすごいシュール
駆け落ち先のシーンなんてほとんどロマンポルノだった。
NHKやるねえ。
そんなことをしていて
手を付けなければいけない課題レポート放置したまま
今度は
ネットkindle版購入
ワンクリックで手元のipadに入ってる。
なぞって読むと、まあすいすい読める。
これで734円は高いかな、と思うが
何が高いかその規準があいまい。
岡田斗司夫の対談本
いずれ村上春樹でも読んでやろうかと思ってる。
1992の「国境の南、太陽の西」まではずっと読んでいたが,
ねじまき鳥クロニクル、以降読んでない。
仕事してたからだね。
昼になってしまって
中華ざる麺
昼寝して、地元散策
深大寺からkirarina
全部徒歩で16869歩
kirarinaの啓文堂は立ち読みが出来る
寄生獣なんて読んでしまった。
帰宅したらsite更新のネタが来ていた。
これもやらなくっちゃ、と思っているうち轟沈
ネットから
“「日本語の愛は、本質的に「執着」を意味します。
仏教的には自分を中心にして相手への自分の執着を貫こうとする心持ちをいう。仏教では「愛」を必ずしもよいこととは見ていない。また、概して優位にあるものが弱小のものをいとおしみ、もてあそぶ意の使い方が多かったので、キリスト教が伝来したとき、キリシタンはキリストの愛を「愛」と訳さず、多く「ご大切」といった。
二つのものを比較して、どちらかいいほうを選ぶのが「愛」です。だから仏教は、「愛」を嫌います。「愛するな」と教えます」”
こういわれると「愛」に感じる違和感が少しわかった気がする
Posted at 03時33分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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