2015年03月14日(土)
花菜漬 [日記]
今日の一句
花菜漬花鳥諷詠余裕なし 浮浪雀
で、2年来の課題であるチュー吉退治
実は姫が来たときも歓迎のつもりか
天井でダンスダンスダンス
姫は目が見えるようになったらしく
私をガン見して、神妙な顔つきである.
初めて見たものが私だから、姫の世界観はどこか狂ったものになるかもしれない。
おまえ、ゾンビになるか
一応挨拶してみたが、
まったくう、やめなさいよと突っ込みが入る。
そのチュー吉用のねんねんボードを購入に行った。
取って返して寝るまもなく、バスタインストール業務に出かける.。
所要1時間、ほぼ期待通りの成果を得て撤収
次は久しぶりのSC研
私立学校の研修会でそのテーマが私学の研修に関してである。
やってくれるじゃないか。
公立の官製研修は人事上の必要から来る。
いい学校へ移動したかったり
偉くなりたかったりすれば、研修に出席して
教育委員会やお偉いさんの覚えめでたくしておく必要がある。
もちろん、教師としての力はつくかもしれない.
それは余禄である.
実力をつけるだけの目的なら民間尾研修である。
官製なら費用は向こうもちである。
勤務も職免で交通費が出る.
金払って勉強させてやったんだから、言うこと聞けよ、というわけだ。
民間の研修なら費用は自前、勤務上の扱いは有給休暇のことがある。
仕方なく教員になったが、
私は研修に金は使ったほうだと思う。
官製だろうと民間だろう機会があればやった。
やるだけやっても、教員として力がついたようには思えなかった。
授業の前にはいつもうまくいくかどうか不安だった。
それはなぜかというと、教員はどんなに教科の問題が解けても意味はない。
相手が理解し解けるようになるかが目的だからだ。
詰まる所相手次第なのだ。
成果を上げるには、自分の力をつけるより
勝手に力をつける相手を探したほうが近道だ。
という事情がある。
もちろん私はある種の極論を言っている。
だがこの反面はあまり指摘されていいない。
というより世の中の考えがそうらしい.
学校に不祥事が合って、保護者を集めて説明会があった。
その会合で保護者の方が、そういう不祥事をなくすには、研修すればいいじゃないか、
との発言があった。
私はその発想に驚いた。
学校の不祥事は研修でなくなるようなものではない、
多分、本質的にそうなのだ。
いずれもう少し説得力をもつように述べてみたい。
そんな研修会に行った。
ところで私は現職から昨年の3月で離れてしまった。
もはや研修をしてもその成果をだすことは永久に失われた.
生徒相手がだめなら先生方の力にはなれるかもしれない.
というか、先生方なら、自分は何もしなくても
先生方は勝手に力をつけるに違いない.
あいては勉強好きの成れの果てである。
てなことを考えた。
久しぶりにあった講師の大学教授は
私に
「現職教員の研修 ー学習機会の体系的再構築をめざしてー」なる
論文をくださった。
何か文句を言え、ということらしい。
言いたい文句は山ほどあるが、
言い方がわからない.
まあ、ヒマができたらやってみよう。
例会少々。
帰宅後チュー吉対策。
Posted at 23時49分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
トラックバック
トラックバックURL
http://blog.pahko.jp/tb.php?ID=4111