2015年04月07日(火)
入学 [日記]
今日の一句
入学を前に早くも鬱デビュー 浮浪雀
ネット業務
あれこれ見たのに1日経つと忘れている。
別邸整備
今日もゾンビ業務
世間でいうところの学童保育である。
学校とは違う
家とも違う
子どもの安全が第一
次に成長発達が第二
その中には社会性の獲得というのがある。
それを集団の遊びの中でやってみよう
そんな理念があると思う.
それが難しい.
1年やってみて、子どもたちは大変さびしいのだと実感した
昨日は口がくさいといわれた。
この業務になってから、職場で喫煙はやめているから
口がくさいのは私がゾンビだからだ。
そのゾンビに子どもたちが群がってくる。
肩車をしろ
ゾンマ(ゾンビお馬さん)をしろ
とゾンビの取り合いである。
ゾンビにはせいぜい2人しか乗れないので
なんで私の番が来ないんだ、ともめる。
じゃんけんとか順番とか
いろいろ妥協策をくりだしてみるが、
自分の思うようにならない。
そのうち、ごっこ遊びになる.
ゾンビを捕まえて牢屋に入れる。
出せー、とゾンビがうめくと
おまえは出してやらない。
こうしてやる!と
鍵をかけられ、体を固定され、さるぐつわに目隠しである.
反省しなさい!
もうしないね!
約束できる?!それなら許してやる!
と厳しく怒られる。
おしなべて言うと
女の子からはそれしちゃいけないんだよー!
きびしい指摘が入る。
男の子は辺り構わず駆けずり回って
文句を言われる.
自分がしたいことをすると
きびしいチェックが入る。
思いの通り遊ぶことなんてできない。
という状況が必ず生じる。
人生は始めからきびしい。
ゾンビに対する攻撃も大変きびしい
足蹴り突進げんこ殴り
何でも来る.
相手を見て同程度より少し少ない痛みを与えてやろう、
と反撃をくりだす。
武器を持った場合は圧倒的に自分に有利な条件をつけての戦いとなる。
自分がやられそうになると、防御ビームをくりだし、さらにバリアをはって、ゾンビが攻撃することができない。とても対等の戦いにならない。
子どもたちの現実生活の反映から生じているように思える。
(これがプレイセラピーの見方で、子どもは遊びのファンタジーの中で
自分のおかれた状況を象徴的に再現して、自分の課題を乗り越える)
私はそうした見方は、セラピスト側の都合ではないのか、といささか疑問を持っている。
とまあそんなことを考えながら
オマエ、ゾンビになるか!
とくりだしているわけである。
もちろん、個人差はある。
肩車一つにしても
ゾンビと一体化してうまく乗れる子もいる。
こういう子は降り方もスマートである。
降りる!と宣言してこちらがうーうー立ったままでも
するすると背中から降りる。
まったく不器用な子もいる。
重心の移動がうまくかず体幹がずれている。
余分な力がかかりそれだけで落ちそうになる.
ゾンビはその分修正して姿勢を維持しなくてならないので
よけい疲れることになる。
こういう子は自分で降りることができない。
どこか着陸所を見つけて、まず足のつくところに立たせて
それから首を抜くという動作が必要だ。
集団の秩序に合わない子というのは
自分の都合が先になっているのだが、
子どもというのもともとそういうもんだろ、
(特に男の子)
という思いが私にはある。
同時に、これは自分の育ちに関わる昭和の個人的な感想だな、とも思う。
私どもの育った世界は現在の子どもたちの世界と違う。
などとも思う。
非常勤とは言え、一応仕事をしております。
定時撤収
今日は世界遺産の島からレジェンド96歳の義母が
1月に続いてまた内地の病院にやってきた.
こんどは足の痛みである.
この高齢では、手術の負担の方が大きいので
なんとかその場をやり過ごして苦しまずにお迎えを待つのがだとうだと思うんだが、とりあえず検査をしてみよう、ということになったようだ。
救いは、ご本人が病院のご飯は大変おいしい、と言っていることだ。さすがレジェンドである。
帝国の姫とギルリリ帝国軍のせわもしなくてはならない。
私の晩年の回りは相変わらず忙しい。
Posted at 09時34分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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