2019年04月10日(水)
囀(さえずり) [日記]
今日の一句
囀り頭上よりヨドバシカメラ前 浮浪雀
サンタクラリータ・ダイエット
快調 ★4.5
奥様は魔女、みたいだし
話の転がし方が、コーエン兄弟並の旨さ
コーエンにしては明るすぎるし大衆的。
ホラー・コメディのホームドラマ
昨日自伝シリーズ公開するの忘れた。
忘れたことに気づいていなかった。
意識の相対性理論、というのを考えている。
意識は舞台みたいなものだ。
そこにスポットライトが当たる。
舞台に時計がある。
時計にスポットライトが当たると
時間の進むのがわかる。
舞台の上では様々なドラマが行われている。
通常それはライトがあたって初めて意識される。
あることが気になっている時、スポットはそこに集中している。
気がついて時計を見ると「もうこんなに時間がたっている」と思う。
我々の悩みの多くはこのスポットライトが思うように操作不能だということだ。
舞台全面が地明りですべて照らされていれば、心のドラマの総てを見ることができる。
これがそれまでの意識の仕組みであった。
時間は絶対ではない、とアインシュタインは仮定した。
基準となるのは速さなのだ。速さは、距離÷時間で定義された。
つまり、距離(空間)と時間は基準でこれが世界の絶対要素である。
もう一つは質量(物体の存在)
この3つを基準としてニュートン力学は構成されている。
ところが速さ(光速)を絶対とすると、空間と時間は
それぞれの運動体によって変わってくる、そうしないと
光速不変の観測事実と合わない、というのが特殊相対性理論の主張である。
つまり舞台上の時間もまた絶対ではない。
舞台上で動きがなければ、時計もまた止まっていなければならない。
あるいは、限りなく速く時計だけが進んでいくと舞台上の人間から観察されるはずだ。
死んだ人がいつまでも若く思い起こされるのは
死者の時間が止まっているからだ。
そして自分の時間がまだ動いているからだ。
なんてことを、入浴前のスクワットをしながら考えた。
スクワットは、15秒大腿筋緊張5秒弛緩の10セットで
最後は30秒緊張させて終わる。このとき15秒秒針が進むのを見ている。
今日は秒針の進みが速かった。ということは自分の体内時計の進行が
遅いからだろう。
8時に帰宅。録画しておいたやすらぎの刻を見ようと座る。
そのまま轟沈。
気がつくと1時半だった。
キッズ業務
新年度業務。
年間日程確認
名簿作成。個人番号をふる。
ゾンビ!出てこい。ゾンビー。
新入生との激しいゾンビごっこが始まる。
何人かはその闘いで泣くことになる。
そんな激しい遊びをしたことがないからだ。
そのうち泣き止んでまた闘いが始まる。
しかし少し用心深くなっている。
経験が人を作るのだ。
ゾンビ送り
雨の中2大巨頭をおくるのはなかなかの業務である。
夕食は彩華のスーパー塩ラーメン
叉焼の塊がすごかった。
Posted at 02時30分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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