2021年03月14日(日)
桃 [日記]
今日の一句
花より実のある桃の花 浮浪雀
朝5時前に起きる。
夢見が悪い。工業高校の職員室。私は同僚に私が作った配布物の言葉遣いでクレームを受けている。こんな書き方はおかしい。相手に対して失礼だ。そりゃ確かに自分の書き方は事実に即したことだけを書いて、相手に忖度しないからそういう受け取り方をされるだろうが、間違ったことは書いていない。
そういう夢だ。
同僚が私を非難するのは不当だと思っている。しかしそこに私はある矛盾を抱えている自分に気がつく。こんな同僚は気にしなければいいのだ。私の配布物の相手がクレームを付けてきたのなら私は反省してしかるべきだ。出してしまったものは仕方がない、これから気をつけます。あとは現実的な損害が生じないか確認して、もし損害があればそれを原状復帰させる自分にできる努力をして、この件は終了する。
ところが私のもやもやは収まらない。私は事態に無関係のこの同僚の評価を気にしているのだ。もし他人が私の立場にあって、このもやもやをどうしたらいいかきかれたら、私はカンラカンラと笑って、そんなやつは無視すればいい。気にするのがおかしい、と言い放つに違いない。実際、過去にそうしていた記憶がある。
その内省から突然話題が変わる。最近自分に自信がない。年を取ってきたからミスが多い。自分で自分の間違いに気がつくことが増えると間違える前からどこかでミスを犯しているのではないか、と疑心暗鬼になる。冷静に確認してみると、若い時とミスの回数はそれほど変わっていない。変わったのは自分に対する信頼感である。そうして間違えても相手は私を表立って追求してこない。なんだか哀れみの目で私を見て、大変なら私がやりますよ、と提案してくるのだ。
という老人問題に付き合って、それから睡眠アプリをあれこれいじった。
睡眠時間が棒の長さで表示される。私はこのグラフは上から下に時間の経過が表されていると思いこんでいたが、まったく逆だった。この様に自分の勝手な(あるいは以前の)思い込みが更新できず、最近の機械はろくなものがない、とすぐに思い込むのも老人問題だろう。
フランケンシュタインが終わってブッダの最後の言葉。涅槃のはなし。
仏法僧というのは有名だが、この僧というのは、4人以上の集団のことで
この集団で修業を継続するのが釈迦の教え。集団のルールがあり、この外部的規制の律と内部的規制の戒で修行の持続を図ったのが仏教。オウム真理教は仏陀の教えをよく守っていたと言える。
下高井戸シネマに「スパイの妻」を見に行く。インテリ監督映画で技巧のオンパレードで画面が暗くてよくわからない。もちろん狙ってそうしている。ノモンハン・関東軍・とくれば悪魔の飽食だが、蒼井優がうますぎて映画の意図通り演技するので、感情の動きがよくわからない映画になっていた。まあ集中できたからいいか。あっ、途中少し寝た。
帰宅後エヴァンゲリヲン序を見る。テレビシリーズの抄録でわかりやすいやつだった。戦闘シーンがいい。
Posted at 23時11分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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