2016年08月28日(日)
秋雨 [日記]
今日の一句
秋雨も程度激しき近未来 浮浪雀
受験勉強
恒例の夏の終わりの研修
やはり寝てしまった。
朝がめっきり涼しく、この夏も終わりの感じがする。
訃報がいくつか続き、礼服を着るのも葬式関係ばかりとなる。
結婚式だと3時間ほどネクタイを締めていなければならないが、
訃報関係は1時間ほどで終わるので助かる。
62、86、53、72と年齢はまちまちだ。
私はこれらの年齢のちょうど平均値あたり。
いつお呼びが来てもおかしくない、と一応頭で思って見るが、
お迎えが来る気配はとんとない。
朝のTVに団塊世代の先頭にいる仙谷氏がでていた。
ポケモンとやらはまったくわからない、とさびしいことを言っていた。
この点では、安倍マリオの方がまだ見られるかも知れない。
わからなくてもやってみようというところに職業意識を感じる。
相変わらず、少年時代の気分はいつもあるが、
明らかに違うと思うことがある。
それは未来がある、という感覚である。
もちろん、若いときもこれから先にいいことはない、
と何度も思った。
いいことはない、にしろ未来はあると思っていた。
いいにしろ悪いにしろ、
実体のある何事かが自分の身の上に起きる、
そんな前提が確かにあった。
それが最近おぼろである。
いつだって、未来はあると思っていたが、
それがどうした、というそこはかとない感じがベースにある。
どこやらに鶴の声きくかすみかな
というやつである。
まだまだ、しておきたいこと、やりたいことはあれこれある。
だが、一方でそれがどうした、
という声もまたそれほど遠くないところでしているのであった。
Posted at 22時22分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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