2017年12月24日(日)
イブの夜 [日記]
今日の一句
病人が2人も出でてイブの夜 浮浪雀
年賀状23通書いて投函
恒例の増富詣で
私にとっては帰省に相当する。
今年は例年と違って
島寿司のおみやげはない。
姉の方では、もう準備が大変なので勘弁してほしい、と言うのである。
何もしなくて良い、と思っているが相手はそうは思っていない。
ここが人間関係の面倒なところである。
こちらの方も妻の母が3度目の肺炎の発症で入院している。
前2回と違って、うどんが食べたい!と口で言っているが
そのあとすぐにスーと寝てしまう。
今までと全然違う。
今度はダメかも知らんな。
入院して10日経過している。
妻は毎日病院に様子を見に行っている。
片道2時間近くかかり、病人より見舞い人のほうが疲れ果ててきた。
とのことで、島寿司を作る余力がない。
双方の都合が一致して、今回は食事会は無しになった。
それでは寂しいだろうということで、花束を買っていった。
例年では兄の長女夫婦とその長女、と次女とその息子
がお年玉目当てに来ていたが、今日は私の姉2人と
兄の孫の女子がいただけだった。
姉たちは相変わらずだが、脊椎環狭窄とか骨粗鬆症とか
いわゆるひとつの老人病名が踊っている。
和暑ぃの中学校と高校の卒業証書の入った紙筒を引っ張り出してきた。
ここにあったのだ。流石実家である。
いずれも50年以上昔の代物である。
兄は相変わらず意味不明の言語を発しつつ、
なんでも民生委員になったと言う。
またボランティアで全盲の教員の支援活動をしている。
その印刷物を見せてもらった。
「定年になっても、授業に接し、学ぶとはです」
これは文章体ではない。口語をそのまま文にしたような文体である。
述語に省略があり、何が言いたいのかはっきりしない。
これは、共通の体験・経験があれば推測可能かもしれないが、
そうでないと、伝えたいことがあるとしても、ぼんやりとしかわからない。
事がらを報告すると言うよりは、自分が経験したことを説明しなくてもわかってくれ、という表明に思える。
兄の次女は訪問看護師をやっている。
認知症や「精神」の人の相手、もするので、大変。
24時間対応が基本だから、土日に入ると休みがない。
頼りにされているので、呼ばれたら断れない。
だから呼ばれる前にこちらから訪問して、自分の時間を作る、と言っていた。
兄よりよほど話がきちんとしている。
その次女に送ってもらって
武蔵野線で年末の沈む夕日を見ながら帰ってきた。
すると、こちらの孫のおしゃべり姫が入院したという。
なんでも高熱が出て食欲がなく消耗してきたかららしい。
点滴をして抗生物質でも入れれば復活するかもしれない。
まだ2歳なので体力保持が必要な事態らしい。
この母親は迫力があったので、そういう心配はなかったが
孫にはその体力は無い。
まあ、そんなわけでこの年末は病人が跋扈する時期のようだ。
年賀状書き40通
とりあえずこれでいいかな。
Posted at 20時09分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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