2018年03月17日(土)
目刺焼く [日記]
今日の一句
目刺焼くわけありマダムの一人言 浮浪雀
朝のビデオ
モブサイコ100%
ゆるキャン△
喪黒福造
それぞれほどほど
孤独のグルメ
大岡山の九絵定食
土曜日は朝日新聞のbeを見る。
懐かしの歌謡曲(JPOP)の記事がある。
今日は1975
一位は「いちご白書をもう一度」
私のカラオケレパートリーである。
私自身は「授業を抜け出して二人で出かけた」こともなければ
「就職が決まって髪を切って来た時、もう若くないさと」
「君に言い訳」などしたことがない。そもそも髪は長くなかったし、「言い訳」する君なんていなかった。だから間奏の時、自分なりのアドリブを入れた。
「こちらは本富士警察署です。学生諸君!君たちのデモ行進は禁止されています。ただちにやめなさい。ほらそこ!やめなさい。総員逮捕!!」本富士警察署は東大本郷が管轄。東大全共闘が本郷から出て街頭で違法デモをすると直ちにやってきて取り締まった。このアナウンスを独特の警察イントネーションでいうのである。
間奏は2つあるので、もうひとつの箇所は「本日、ここに結集した、すべての、学生、労働者、市民諸君!われわれは、本日の闘いにおいて、敵権力の、不当な弾圧に対し、圧倒的な隊列をもって、完膚なきまで、勝利した!」 などという総括集会の演説を入れる。
歌詞にあるような事はまったくなかったが、それでも同時代を生きていたことは確かなので、そんな風に自分なりの「いちご白書」を演出するのだ。
以下、時の過ぎゆくままに(沢田研二)あの日にかえりたい(荒井由実)ロマンス(岩崎宏美)今はもうだれも(アリス)と続く。
1975は私の黒歴史総仕上げの年で、1976に私は東京都の教職員採用試験に合格して最果ての僻地小笠原高校の教員になったのである。
そしたらシルバー人材センターの担当者から電話がかかってきた。
4月から行う市報の配布作業の打ち合わせをしたい、というのである。
担当のご婦人と共に近所の公園に行く。講演に金属製のロッカーがあり、つきに2回配布物が配送される。そこから自分の担当物を取り出し、記録簿に記入して配付する。配付箇所は次回教えてもらうことになった。私の担当分は250部ほどである。まえの担当者が亡くなったのでそれを埋め合わせる人を探していたのだ。
世話役のご婦人はこの箇所50人ほどの配達人を統括している。実はご主人がやっていたのだが「4年前にお父さんが亡くなり」それを引き継いだのだ、という。地元の高齢者社会の様子がだんだん分かってきた。
食事して、恒例のへこみん氏例会に行く。
3時待ち合わせだが、結局始まったのは4時を過ぎていた。一時間のロスは最後のコース変更で辻褄をあわせる。
今日は石神井公園にある練馬文化センターで藤沢周平展を見る。
藤沢周平は「たそがれ清兵衛」の原作者である。時代小説の名手とのことだが、私は読んだことがない。山形の師範学校の卒業し中学の教員になったが、2年して結核が発病し、東村山の病院に入院。教員はあきらめた。業界紙の記者をやりながら小説を書く。怨みを晴らす自伝的な暗い作品群である。結婚、長女をもうけるが妻が2年してガンで死んでしまう。幼児をかかえて生活苦に苛まれる。この長女は私より14歳年下である。その後再婚する。直木賞受賞。数々の賞を受ける。
なかなか面白かった。生誕90年、逝去したのが70歳のころだ。私に引きつけて考えると今年あたりに死ななければならない。まだまだこれからだと思っているいるのに。
ねりまの実力店をみつけ例会。予定していたお茶には時間が足りなくなって撤収した。
Posted at 22時49分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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