2018年07月12日(木)
浮いてこい [日記]
今日の一句
浮いてこい沢山浮かべて孫入れる 浮浪雀
予定のない休みの日
それでも業務上の諸連絡やって
テラスハウス:ハワイ編を見た。
通信制高校の講師業務
これは講師が必要な日を挙げて
該当者にメールが来る。
自分が担当できるようだったら
希望日を書いて返信する。
この仕事はこの前2度ほどやって
なかなか今の自分に合っていると思われた。
ただし、他の業務をあれこれやっているので、
日程が合わない。
今回は例のコミセン業務とぶつかっている。
私としては、コミセン業務よりこちらをやりたい。
ギャラも単位時間で3倍である。
そこでコミセン業務を断るつもりで
さっそく希望日を書いて返信した。
募集メール発信時間から3時間ほど経っていた。
それでも私は多分OKがくるだろうと思っていた。
ところが今回は応募者が多く、私は選外となった。
ちょっとあてが外れた、という感じ。
でもまあ、現在の自分の状況を考えると
募集メールがくるだけでも上出来といわなければならない。
経済誌「ダイアモンド」の会員コンテンツに
「定年後も仕事が来る人の現役時代の過ごし方」なんて記事があった。
一般社会的に私は恵まれた方なのか。
ネットの記事に、養老孟司の仕事観が出ていた。
仕事とは社会に開いた穴である。
だれかがそれを埋めなければ世の中が回らない。
そこでそれを埋める人に社会は賃金を払うのだ。
本人の適性や天職とは無関係である。
自分のやりたい仕事ができないから転職するなどもってのほか、
という考えである。
この考え方は私と似ている。
「少数の恵まれた人を除けば、われわれは人の嫌がる事をやって収入を得る
のである。自分の嫌な事に習熟し好きといえないまでもそのなかにいくばく
かの楽しみを見いだせるようになれば立派なものだ。もっとも、自分の好き
な道から入る、という方法もあるだろう。だが仕事となると好きだけではす
まない部分が必ずある。そこをしのいでいく、ということになる。いずれに
せよ、行き着くところは同じようなところである。」
1996.8.27
と20年前に書いたが、今もその考えは変わらない。
定年を過ぎて10年近くなる。
世の中が私を相手にしなくなっているので
こちらも世の中を相手にしなくていいことになった。
現役時代にあれこれ考えて肩肘張って頑張っていたのは一体何だったか、
自分では意味あることのように思っていたが、結局は自己満足に過ぎなかったではないか。
自分が満足したつもりで、他人の不満足を作っていたのではなかったか。
それでも自分が満足していればいいが、満足したつもりになっていただけではないか。
いや、満足したことなどほとんどなかった、とここへ来て言明したくなった。
などと最近思うことが多い。
夕方地元散歩買い物
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