2021年03月02日(火)
春潮 [日記]
今日の一句
日帰りは千葉房総の春の潮 浮浪雀
ファーブル昆虫記
カリバチの幼虫は孵化すると獲物を食べて大きくなるが
最後まで獲物が死なないところを食べて行く。それが本能。
さらに晩年になると、サソリとクモ、ムカデ、バッタを戦わせて
どうなるか観察する。本能にとって戦争とはなにか?という問題である。
クモにはすぐに毒針を指して餌にする。ムカデはお互いに避け合って戦おうとしない。実力の伯仲するものが争うとお互いの被害が甚大になるおそれがある。バッタとはお互いに無関心である。多分同じ環境に住んでいないから、相手を生きものと認めていないのだ。そういう感想である。
人間だけが生物の中では実力伯仲すれば殺し合い、相手が弱ければ殺し、関係ないものでも因縁をつけて食べる目的以外に集団で戦う。なんと因果な生き物であることか。
ダーウィンが終わったらアンネの日記。思春期少女の心の記録。
キッズ母体の小学校では、退職者、永続勤務の人に寄せ書きをする文化がある。これは女子校の伝統だと思うがどうか。それをいくつか書いた。直接一緒に仕事をしていないので、あまり想い出がない。互助会の担当者は誰に出しますか、と聞いてくれた。書かない人がいてもいい、ということなのだ。もっとも私が同じ敷地内にあっても別の所属だからだ。5年ほど前は勤続10周年で色紙をもらったので、そのお返しの意味もある。まあ、浮世の付き合いというやつだ。
キッズ業務
来年度のあれこれ。
ゾンビ送りは遠野物語の話。
帰宅後、怪物事変、カンパニー
勧められて日本ドラマをいくつか見た。
教師モノのここは今から倫理です。
医者モノの神様のカルテ
バレエモノのカンパニー
今の所評価は
カルテ>倫理>カンパニーかな。
どうもお涙頂戴のハッピーエンディングでまとめようとするエピローグが面白くない。
例えば、がんで余命幾ばくもない。そこで最後に青春時代の星空を見せてあげようと、屋上へ患者を連れて行って、病院の明かりを全部消して、漆黒の夜空を見せてあげる、という泣かせるエピソードを持ってくる。1週間後に亡くなった、とオチを付ける。ドラマの効能はつまるところ願望充足なのか。
なにか特別なことがあって死ぬというのは、なんともやりきれない。自分の死にはなんの特別なことはなかったと証明して死にたい。この場合、その死は、本当になにも特別なことがなかった死なのか、なんの特別なことがないことを証明するために何も起こさないということを注意深く選んだ特別な死なのか?その違いはどうわかるのか?などと言うことを考えた。見た所同じならそれは同じものだ。本当か?
推し、燃ゆ、読了。圧倒的な描写力と比喩はただ者ではない。構成もしっかり企んでいる。ラストの決意表明も素晴らしかった。とツイッターに載せた感想を記録しておく。久々に突っ走る才能を読んだ。見ている世界が自分とぜんぜん違う、ということがわかるのだが、なんで見ている世界が違うということがありありとわかるんだ。ここに文章の謎がある。いろいろ引用したくなるが、本はさっそく筆者A氏文藝事務所に送った。ので、手元にない。
Posted at 21時25分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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