2005年06月10日(金)
通勤
最近はこの楽団が
ここを占拠している。
アンプもちゃんと使って
そこらのアンちゃん歌い手とは
ちょと違う。
そばでみると哀愁ただようおっさんたちである。
で、この4月から
4時半には起きている。
5時半前には納豆ヨーグルトを食べ
6時半に家を出る。
職場には7時半に着く。
朝が早いと電車の本数が少ない。
乗る電車が決まっている。
時間の決まっている電車の
乗る場所がまた決まる。
その決まった場所に
毎朝乗ってくる人が決まっている。
乗換駅のホームの場所が決まる。
乗り換えの高架線のプラットフォームに
向かう階段を駆け上がる。
短距離レースのスタートのようだ。
階段を2/3ほどあがって走りながら上を見ると
映画の1シーンのように
そこへ通勤電車が滑り込んでくる。
これが毎朝ぴたり時間通りで
毎回同じ映画の登場人物になったようだ。
その登場人物の一人に
ちょっと小粋なおじさんがいる。
勤め人にしては、少し遊び人風の様子である。
麻のジャケットなんぞに白い靴をきめて
スポーツ新聞を小脇に抱え
毎朝必ず私の左前に立つ。
そして例のオデッサ階段では
私の5歩ほど前を駆け上がる。
階段を上りきって
2つ左のドアの前の行列に並ぶ。
電車に乗ってしまうと
その後はわからない。
ところが先日
毎回の同じシーンを繰り返した後
その小粋なおやじが
乗った電車を降りたのだ。
そして次の電車を待つ列の後ろに
並んだ。
なぜだ。
謎の行動である。
階段レースの先陣を切って
わざわざ乗り込んだ電車をすぐに降りる。
そしてすぐ次の電車の列に並んだ。
この謎はいつか明らかになるのだろうか。
職場は駅から少し歩く。
駅に向かって来る人とすれ違う。
この人々がまた同じ登場人物である。
その中に一人
気になる人がいる。
20代後半の女性である。
これがまったくの美人でない。
いちおう通勤の服装をしているが
その風情がサンダルをつっかけて
ちょっとコンビ二に買いものに行く感じである。
そして妊婦のように腹を突き出して
小走りに走って来る。
それが毎朝そうなのだ。
乗るべき電車に遅れてしまう。
けっこう必死に走って来る。
すれちがう場所もほぼ同じである。
ほんの少し早く起きればいいのに、
人ごとながら毎回そう思う。
そうしてほんの少しうれしくなる。
わかっちゃいるけど、やめられない。
おろかな人間の性が
上体そらして走って来る。
その職場に向かう道で
過去の顔見知りに遭遇した。
それも一人ではない。
三人と会ってしまった。
JJIの会の理事長にあった。
公職を定年退職した後は
さる国立大学の講師をされている。
このJJIの会の理事に推薦されたのを
この2月に断った。
それでここから足を洗えるな、
そう思っていた矢先に
ばったりあった。
先方は、やあやあと近づいてきた。
さけようもない一本道である。
こちらも社交上、やあやあと近づくしかない。
私が新人として入った職場のすぐそばが
その理事長のお宅だと言う。
なかなか許してもらえないものだ。
二人目は子連れの主婦である。
またしても一本道の向こうから
こんなところで何してるんだ、
と近づいてきた。
小学生の子どもはけげんそうな顔つきで
母親の手を握っている。
前の職場の同僚だった人である。
その前の職場にいたときに結婚して
名前が変わった。
そしてほかの学校に異動した。
そのときの子どもが小学生だから
もう10年近く前になる。
近所に住んでいる、という。
3人目もやはり職場つながりだった。
この方は時間講師の方である。
それほど懇意ではない。
顔見知り、といった程度である。
その人がいきなり通勤途上に現れた。
そして先方はなんだか何十年もの知己のように
住まいはそこの角を曲がったラーメン屋の奥だから
ぜひ今度よっていけ、というのである。
私はそれほどこの方と親しくない、と
自分では思っている。
名前すら別れた後でやっと思い出したくらいである。
でもまあ、先方がそういうのも
少し思い当たる節がある。
2人目と一緒だった前の学校の
そのまた前の学校でも
やはり3人目の方は時間講師をしていたのだ。
偶然とはいえ
この通勤路上で
3度目に出会ったことになる。
先方が何かの因縁を感じてもおかしくない。
漱石晩年の作品「道草」に
過去の亡霊のようにフロックコートの男が現れて
主人公の健三に金の無心をする。
そんなことを思い出した。
今日の一句
松の芯細き中にも心意気 イシマ
Posted at 00時36分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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