2014年08月27日(水)
鎌いたち [日記]
今日の一句
ターミナル駅の雑踏鎌いたち 浮浪雀
つい昨日までの最低気温より
今日の最高気温が下。
いきなりの秋と言うわけだ。
夏の課題のレポートをなんとか仕上げる。
でっち上げの作文だがなんとかなるだろう。
5月に出したレポートが帰って来た。
評価はB+でこれは5段階の4ということになる。
もちろん合格で、合格しさえすれば良い。
表現が3だった。
ワープロの変換ミスが6個あった。
指示と支持じゃ、意味が逆だよね.
こぬか雨の中、出勤
いやに館内が静かだと思っていたら
みな寝ていた。
ゾンビぐるぐるドカン
どらえもんとクレヨンしんちゃん
ゾンビ送り
定時撤収
ネットから
”(1)今、あなたの目の前に、あなたが「理解」できない人がいるとします。例えば、「あいつは内向きでケシカラン!」。そのときに、その人の「個人的資質の問題」を批判するのは、誰でもできることです。もちろん、それが問題かもしれません。
(2)しかし、そんなときほど、その前にひとつ「思考実験」をしてみると、「新たな視点」が得られることもあります。今、あなたの「目の前」で、「あなたが理解できない誰か」がなしている行動は、すべて「その人にとっての合理的選択なのだ」と考えることです。
(3)「この行動が合理的選択だとするならば、彼にそういう行動を選択させているもの、環境、状況は何か」と問うことです。つまり、理解できないある行動が「個人の資質」の結果生じていると考えず、何らかの社会的・物理的要因によってもたらされていると考えることです。
(4) そうすると、一見「個人の資質」だと断罪していたものが、違って見えることがあります。その人の置かれている環境、状況、境遇・・・そのようなものによって、その人が、現在の行動を「合理的」に選択している理由がわかってくる「かも」しれません。もちろん、すべてではありません。
5)そうすると、本来、変えなければならないものが「何か」わかってくるかもしれません。これは僕の経験上の話ですが、「他者の行動がわからない」ときほど、「他者は合理的な選択の結果、そういう行動をとっていること」が多いような気がします。
(6)余談ですが、僕は、あまり「強い個」というものを信じていないのです。これは僕の教育・研究すべてに通底するトーンかもしれません。「個の振る舞い」とはソーシャルで、シチュエーショナルで、環境依存であることが多い、というのが僕の信念です。
”
― Twitter / 中原淳(なかはらじゅん) “
合理的というのは目的適合性と言っていいのか.
とすれば理解できない他人とは、その目的を理解できないということになる。
Posted at 21時27分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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