2015年11月10日(火)
木の葉 [日記]
今日の一句
カエルの冬眠どんぐりの木の葉 浮浪雀
ミドリガメを飼うことになったが
夏場は水を1日に3回替えろとか、
水温は5℃一手にすると冬眠によろしいとか
サルモネラ菌がいるとか、
日光浴が出来なければ紫外線ランプをつけろとか、
2020年には特定外来生物に指定されるとか
結構注文の多い料理店だった。
気楽にもらっておいたが
またぞろ面倒な業務が増える感じである。
まっ、仕方ない。
いよいよになったら
別邸に持ってくればいいか、
と甘く考えていたら
ギルリリはどうするのよう
と即座に攻撃が来た。
門は遺品の屏風を得る話になった。
以前はこんなところまるでつまらなかったが
形見の屏風に対する気持ちがよくわかるように書いてある。
その気持ちがそのまま現代でも通用する書き方である。
いやおもしろかった。
ところで、問題のカメは
10年以上仕事を一緒にしてきた方のお父様が30年も飼っていたという。
その飼い主が先日、急に亡くなった。
生前に、そろそろカメもなんとかしておかないとな、と
言われていたようだ。
それが急な話で、それに手をつけないうちに逝去された。
それでその息子さんであるかっての同僚がこまって
あちこち連絡した。
市役所だと、死んだものはいいが、生きている間はだめだそうだ。
ペットショップに電話すると、どこも小さいうちならいいが、大きくなったものは引き取れない、との返事だったという。小学校に問い合わせると、とてもそんな余裕はない、との返事。ビオトープをやっているところでひきうけてくれないだろうか、とあれこれ思案していたところ、職員室のお姉さんが、それならといって、私の所を思い出した。それで私に打診に来たのである。写真も見せてもらった。カメ小屋は持ち主の自作である。工務店をやっていたからプロの仕事だ。餌もある、と言われて、入れ物もあるし食べ物もあるなら、あとは置く場所だけあればいい、と思って引き受けた。
まあ、生前世話なったし、その息子さんはなかなかの人物である。と義侠心にかられて決断した。いつもながら少々軽率だったかもしれない。しかしこうなった以上は出来るだけのことはする。ワシントン条約に抵触しそうなので、近所の川に放し訳にはいかない。
人はなぜ悩むのか
動物をみれば悩みなどないように見える。
空腹や痛みはあるだろうが、目の前にないことであれこれ悩むのは人間だけである。
考えても仕方のないことにあれこれと思いを巡らせて、時間ばかり過ぎていくのはどういうわけだ。満月、空に満月、と井上陽水もお出ましだ。
結局、現実的に無用な悩み事にふけるのが、その人の性分なのだ、というしかない。
おなじ状況でも。ある人はあれこれ悩みまくり、別の人はそんなこと気にもかけない。
人のシステムは不安定なものだ、ということを発見したのはフロイトということになっている。19世紀の話である。無意識の発見とは、人の悩みシステムの発見でもあった。自我とは上からしなくてはいけない倫理しつけのスーパーエゴに支配され、下からエスの欲動に突き動かされて、両方に気を遣って自分がつぶれる中間管理職のようなものである。悩まないわけにはいかないのだ。
そんな事を休み時間に考えながら業務2快調。
業務2はほとんど悩むことなく時間が過ぎるので
そういう考えも湧いてくる。
時間通り撤収
聖地をうろつき、所定のブツを購入。
made in china は安いねえ。
Posted at 20時15分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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