2016年03月10日(木)
春の夜 [日記]
今日の一句
春の夜今日も空しく空車待ち 浮浪雀
「無痛」なる医療捜査ドラマを見る。
TVはニュースしか見ないので、ドラマは知人が教えてくれる。
データをUSBメモリー入れてくれたりする。
「倍返し」はそれで見た。
「下町ロケット」は録画してみた。
「アオイホノオ」「おそ松さん」は自分からネット捜して見た。
いずれもなかなか面白かった。
チュー吉屋が最後の工事に来た。
残りの開口部分をふさぎ、しばらく様子を見てください、と言って
工事用にワンボックスのバンに乗って去っていった。都合1時間ほど。
相変わらずイケメンだった。
午前中はそれでつぶれた。
午後は年に4度ほどの研修会
私立学校のカウンセラーと教員の経験交流会である。
文京区の大学付属の私立女子校へ行く。
大変立派で24時間配備の警備員がいて
これがまた親切である。
私のような不審者にも「G先生の会合ですか」
とにこやかに声をかけてくれる。
来校者ノートに書け、などと無粋なことはいわない。
私は区立M校の玄関先を思い出した。
そこではアイフォーンに顔を近づけ
「指導員のイシマです」というと
その小さいスピーカから「どう 」という声が聞こえて
自動ドアのロックが外れて中に入れる。
相手の顔は一度も見たことがない。
私は現役ではないので、こういう研修会に出ても自分の仕事では還元できない。
相変わらず言いたい放題無礼千万で傍メーワクなことである。
それでも呼んでくれるので、図々しく参加している。
★ ikgm gnd
★ HR
krbys OIKW
ISM AOK
9人参加
2時間半ほどやって、帰路駅近くで2次会
krbys OIKW HR
gnd tk ISM
3時間ほどやって撤収
数年ぶりに再会したO氏は都内で一番応募者が多かった私立高校の校長だった人。
私とほぼ同年代である。
この3月で手がけた仕事に一区切りつく、と言っていた。
この人の実家は5年前震災にあったところで、
実家のあった街は半分が消えた。自分の実家は残った半分にあったのだが、
知人で一家6人が流され、残ったのは次男坊ただひとりだった、などと言う。
復興支援をしたいのだが、結局自分の卒業した中学校の支援に月一度ほど
訪れている、とのことだった。
支援される側もいろいろあって、こういうことは本当に難しい、と。
こういう人の話は信用できる。
今日発題のH氏は昨年の今頃、事務引き継ぎをしたときに一度会った。
この研修会の主催者である。
あれから1年、最後のライフワークとして来た仕事も
この一年でどうなるかわからない、と言うのである。
H氏はガンを患っているのだ。この前検査に呼ばれて、
また4月末に再検査する、とのことだった。
ビール小の次は日本酒に少しつきあって、後はウーロン茶をちびりちびりやっていた。
全然元気そうじゃないですか、と隣のO氏に言われていたが、
どうだろうか、これが最後の別れになるのではないか、と私は危惧した。
と言っても特別な事はなにもない。
H氏始め3人は高田馬場で乗り換え
私は車内に残って手を振った。
帰宅後轟沈、今週は布団に入らずに朝まで生轟沈が2回となった。
Posted at 07時28分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
トラックバック
トラックバックURL
http://blog.pahko.jp/tb.php?ID=4496