2019年02月24日(日)
春愁 [日記]
今日の一句
春愁の御茶ノ水駅エレベーター 浮浪雀
昨日はあれから配布プリントに関するメールが来て
どうやらこちらのメールに添付したファイルが間違っていたみたいなのだ。
みたい、というのはそれを確認するには職場に行かなくてはならない。
しかし明日は指導員業務、明後日は確定申告・採点と日程が詰まっていて
行くことができない。
配布物の現物を確認して安心したいのだが、そうはいかない、という事態だった。
どうでもいいことで切羽詰まっているのだった。
図書館で借りた本にもう一つあった。
銭金のついての話
車谷長吉
駅前コミセンの文庫本棚にはこれしかなかった。
朝日新聞土曜日のbeの人生相談はずっと愛読していた。
その回答者の中で車谷長吉が一番面白かった。
私立学校の40代の教員の相談。
妻子もあって幸せな生活を送っているのに
5年に一度くらい、どうしようもなく好きになってしまう女子生徒が現れる。
もう苦しくってしかたない。
一度などはキャバクラに勤めることになった卒業生に会いにまで行った。
どうしたらいいのか。
この答えが凄かった。
その女生徒とできて総てを失えばいい。
そうすれば人生の真実がわかる。
人として生まれて人生がなんであるかわからずに死ぬのはもったいない。
あなたは小利口な人です。
というのが答えだった。
今回借りた本の中に、
自分はまんがが大嫌いで、電車の中でそういうのを見ているやつを見ると腹が立つので見ないようにしている、といったあとで、つげ義春の無能の人をたいへん褒めてあった。
なかなかおもしろい。
この人によれば、人間救われるためには
文学か哲学か宗教に向かうしかない、とのことである。
救われるというと大げさだが、もう少し心安らかに暮らせないのか、
いつも心配事が黒雲のように頭を覆っている。
少し考えればどうでもいいことに戦々恐々としている。
仏教では四苦八苦というて
生・老・病・死の四苦に
愛別離苦
怨憎会苦
求不会苦
五陰盛苦
の四苦をわせて八苦
このうち
五陰というのは
色・受・想・行・識
である。
いろいろ思い煩うのは、想と行の働きが強いからである。
と、診断はしっかりしている。
状況の分析と診断はわかったが、どうすればよいのか。
これは避けられないものなので、のたうちまわって苦しんで生きる他ない、
ということになる。覚悟しろ!というわけなのだった。
まあ、甘いことを考えているところをビシャリとやられる。
とそんなのを読んで、体育館指導員業務に行った。
今日は雑用を頼まれた。
1.封筒貼り。
A4の封筒を封緘した。入り口をおりまげて糊付けする。49枚やった。
2‥図書カードパソコン入力。
ISBNという番号を入力して、図書カードにある情報をパソコンの図書管理ソフトに入れた。
1.の業務は修行に通ずるものがある。自立支援施設B型でやった袋詰作業と同じだ。
2.は細かい数字を10桁くらいいれないといけないので、数入れると目の奥が痛くなりそれが頭痛にまで進みそうだった。幸い2時間ほどだったのでメがつかれただけで済んだ。
谷崎の鍵のなかでなぞの一文をみつけた。
僕ハ僕ヲ、気ガ狂ウホド嫉妬サセテ欲シイ
始めの「僕ハ」がなければそのまま通じる文章である。
受動態に主語がついている。「僕ガ」ならまだ破綻がない。
僕ガ僕ヲ、気ガ狂ウホド嫉妬サセテ欲シイ
愛欲の神がいるとして、この神様に自分が気が狂うほど嫉妬するような行為を自分にさせてほしい、とお願いしている、とすると少しは意味が生じる。しかし
僕ハ僕ヲ、気ガ狂ウホド嫉妬サセテ欲シイ
なのだ。もちろん印刷ミスや校正漏れではないと思う。
僕ハ、と言いかけてただちに次の想念が浮かび、
僕ヲ気ガ狂ウホド嫉妬サセテ欲シイ
と訴えているのだ。誰に訴えているのか。
もちろん、妻の郁子であり、娘の縁談相手の木村であり、そして何より自分自身に向かって言っているのだ。
これは妻と大学生の木村を引き合わせて、それに嫉妬を掻き立てられることによって性的ポテンシャルが上がるのを願っての訴えなのだった。夫のカタカナ文体の日記といい、妻の仮名書の日記といいその自意識のドラマの舞台が表面的には夫婦生活なのであるからなかなか一筋縄ではいかない小説だ。
明日は冷たい雨となるようだが、予定通り税務署・その後キッズ関連連絡・採点業務ということになる。
Posted at 20時27分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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