2006年04月05日(水)
山吹 [晩年]
今日の一句
山吹の生け垣遠くなりにけり 浮浪雀
朝出がけにガスを切ったかどうか気になった。
家を出てから5分ほど過ぎたところである。
このまま出勤しても大丈夫な気がする。
だがそのことはずっと気になるだろう。
電話で確かめてもいいが、
そのためにわざわざ家人を起こすまでもないだろう。
というか、その程度の事が気になっていることを
あまり知られたくない。
これはわずらっている人の心理である。
事実(ガスがついたままかもしれない)にくわえて、
それにまつわる心理的いざこざが面倒な事態になってくる。
そんな些細な事に気を取られてる自分を認めたくない。
それを人に(特に家人に)知られたくない。
と考えながらも時間はどんどん過ぎて行く。
もどって確認した。
ガスはきちんと止めてあったが
換気扇はついていた。
自分が何かを忘れた、
というよりも、日常的に行っている事を
きちんとやったかどうか確信がもてなくなっている。
やった記憶はあるが、それが今日のものだかわからない。
毎日朝晩サブリを飲んでいる。
毎日飲んでいるのは覚えている。
今日(さっき)飲んだかどうかがわからない。
この場合、思い出せないのではなく
覚えていない、のだ。
度忘れは、記憶があるのに出てこない。
これは記憶があるかどうかの記憶がない。
確認したので、気になることはなくなった。
いつもより1本遅れた電車に乗った。
それでも十分間に合う。
今日は会場準備。
自分の担当する教室の掃除をした。
ワックスも塗った。
会議、配布物の整理などして
明日することを確認して6時半すぎに終わる。
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