2014年03月18日(火)
春の夜 [日記]
今日の一句
春の夜もタッチクリックスクロール 浮浪雀
1日会議
私に取っては重要案件2つ
奮闘させてもらった。
諸連絡
引き継ぎ業務
毎年この時期はこれがある.
春は別れと出会いの季節といつも思う。
今年はひとしおだね。
定時撤収して寄り道荻窪
ブツを回収し話を聞く人の話を聞いて来た。
フロメシ速攻轟沈しかない。
明け方、Y先生の夢を見た。
やっと一泡ふかせてやった。
ネットから
“タモリは、「自分」とは何かというところから説き始める。
たとえば「会社の課長」「芸能人」「妻がいて子供が二人いる」「友達が何人いる」といった、現時点での 自分自身の“状況”を横軸とし、「親は医者」「家系」「叔父が不動産業界にいる」「子供が東大生」など、自分の周囲の人間が持つ“事実”を縦軸とする、と。
この横軸と縦軸が交差したものが「自分」であるとタモリは言う。
「そうすると、自分というのは一体何か、絶対的な自分とは何か、っていうと、わかんなくなってくるわけですね。それだけこういう、あやふやなものの中で自分が成り立っている」
そんな「自分」を成り立たせている横軸も縦軸も「余分なもの」であり、それを切り離した状態を、タモリは便宜上「実存のゼロ地点」と名付けた。
そしてタモリは「人間とは精神である。精神とは自由である。自由とは不安である」というキルケゴールの言葉を引用し、それを解説していく。
「自分で何かを規定し、決定し、意義付け、存在していかなければならないのが人間」であり、それが「自由」であるとすれば、そこには「不安」が伴うと。
この不安をなくすためには「自由」を誰かに預けたほうがいい、と人間は考える。タモリは言う。
「人間は、私に言わせれば『不自由になりたがっている』んですね」”
これと同じような事を最近ずっと考えている。
上記文のキモは、まずもって
「タモリ」は、という所にある.
あのタモリがこういう事を考えているんだ、
そこに説得力が生まれる.
ある論説の説得力を確認するには
それを英語に訳してみるといい。
すらすら訳せれば、それは結構広い範囲で説得力を持つだろう。
英語が苦手です、という人は
田舎のおばあちゃん相手に説明する事を考えてみる。
おばあちゃんいません、ずっと前に死にました、という人は
天国のおばあちゃんに説明してごらん。
私も30年以上前に死んだお母さんに言ってみる。
Posted at 06時21分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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