2015年01月25日(日)
餅 [日記]
今日の一句
搗き立てや食べすぎだろう餅7個 浮浪雀
寒中お見舞いを出すことにする。
年賀状は来年度は別形式にすることを昨年決めた。
今年の年賀状では、退職報告をしてある。
年末に
喪中につき新年の挨拶を控えさせていただきます、
ハガキが9通来た。
それらの方には当然年賀はがきは送れなかった。
それで、初めて寒中見舞いというものを出すことにした。
9通のうち2通は親戚なので、これはもう葬式の時に
顔を合わせて報告してある。
はじめは、今年の年賀状の
「あけましておめでとうございます」のところを
「寒中お見舞い申し上げます」と変えただけにしようと思った。
あとは昨年の12か月分のこのブログの抄録写真となる。
寒中見舞いを検索して調べてみると、
どうもそういうわけにもいかないようだ。
世間の付き合いの寒中見舞いなので、世間付き合いに準拠することにした。
手頃な絵柄を落として、それを変更、文字を入れてjpg版にして
iphoteに読み込んで、少し手を加えてハガキに印刷。
7通なんとか作って、住所手書きして投函した。
やってもやらなくてもどちらでもいいことを
なんとか終えたので気持ちが良い。
これもほんのひと時のことで
また何かやらなくてはいけないことを思いつくんだ。
気持ちの休まる時はないね。
地元散歩。今日は風がないので凌ぎやすい。
昨日、椿山荘に行った時、地下鉄早稲田駅から歩いて行った。
そのあたりは10年前まで毎日通っていたところだった。
この時期は入試業務がやらなければいけないことだった。
それでも寒中寒い風の中にかすかに春の日差しが差し込み
何か新らしいことが始まる気持ちの張りが感じられた。
10年前にはそんな気分もあったんだな、と思い返していた。
神戸の大震災があって20年経った、とTVで言っていた。
1995.1.17の私の20世紀の記録は以下のとおり。一部書き換え。
1/17、火、1・2。会議資料作り。Yさんが私案を出している。金を振り込もうとするが出来ない。3時から入試担当者会議。20分くらい終わりが伸びる。その後、教務部会。5時半頃までやる。よくわからないことやるので、負担感が強い。それでも7時前には学校を出る。神戸で大地震。死者1000人を越える。TVをみる。大災害である。疲れているので寝る。
死者1000人というのは、この時点の報道によったのであろう。
この職場に入って担任を3年間担当して、そのあと教務部の主任になった。例によって私は自分の範囲外のことにもあれこれ手を出し、自分が分担しないといけない責任以上のことを引き受けて、しかもそれがうまくいかず負担感が強かった。やらなければいけないことを自分で設定して自分を追い込んでいた。実力以上の志望校を受験する受験生の心境である。だがそれは私たち世代に共通するある心情かもしれない。この時期私は校内人事を調整する責任者もやっていた。今にして思えばそれは教頭、校長の仕事で、平教員の私がでしゃばることではなかったかもしれない。その人事のやり方も私が提案して職員会議で承認された。だから教務部の責任者になったのも自分で蒔いた種であった。Yさんというのは私の前任者で、適格な判断力を備えた実力者である。専制タイプのリーダーシップを取る人で民主型の私と反対のスタイルである。銀河英雄伝説を例にとれば、Yさんは銀河帝国皇帝ラインハルト、私は自由惑星同盟元帥ヤン・ウェンリーといったところだ。そう言ってくれた若い先生もいた。だが私の問題は自分のスタイルを私がほとんど信じていないことにあった。
そんなことを思い出して椿山荘までの道を歩いたのだった。
時間があったので地元で映画。
gone girl
★4つ 久しぶりに見ごたえのある映画だった。脚本が秀逸。クライムサスペンスだが女優がすごい。相手のベンアフレックもいい味出していた。それでも見た後の感じはあまり良くない。人に勧められないな、とは思った。
Posted at 08時15分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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